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偶感

本の脱稿の後10日程、ノイローゼのやうな変な状態が続いてゐたが、今日、音楽批評の推敲、講演草稿の作成をしてゐたら気分がよくなつてきた。書く仕事があり続けてゐないと頭の調子が非常に悪くなる。次の仕事が定まりきらなかつたが、見えてきた。今日推敲したティーレマンのブラームス論は10年前の仕事だが、我ながら良い出来。同時期のフルトヴェングラーとカラヤンは赤面するやうな駄目な出来で完全に別物に直したが、これは手入れの必要がなささうだ。明日からトリスタンに集中する。ワグナー伝、ワグナー論、フルトヴェングラー、ベーム、カラヤン、バーンスタイン、クライバー、バレンボイム、ティーレマン。合間に時事本や論語を少し進めるが、ほぼ音楽に専念。この後、クレンペラーとヴァルター論。それで打ち止めで全体を構成し直して脱稿したい。保守主義、論語、時事問題、時代論など猛烈に仕事したい。
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無題

マイクを持った権力は強い。
それが、マスコミ(主として朝日新聞プラステレビメディア)と安倍政治=日本の平均的な輿論の戦いの本質だ。
政治学では「マスコミ権力」を理論の中に構造化していない。最近の政治学でもおそらくそうだろう。しかし政治原理、権力、抑止の論理は時代と共に変貌する。近代政治学の図式の中で理論を更新するだけでは現代政治は全く把握できまい。今、従来の政治学が全く拾えていないマスコミ権力を介して、日本では国民世論とも正当な選挙とも全く関係のない謀略が、国家に大きな影響を与えているのは、日本の政治的現実である。
 マスコミ権力に対して政権や民間がゲリラ戦を幾らしても消耗戦になる。消耗している内に一度負けたら終りなのだが、その深刻さがどうにもうまく理解してもらえない。マスコミ権力が、学問として構造化されていないので、多くの人がそれを抑止の必要な権力であるとイメージしたり認識したりする習慣がないからだろう。
が、例えば、小池氏の背後にもし中国共産党がいて、今年秋政変が成功していたら、それで日本の独立と自由は事実上終り。小池氏の背後は私は知らない。今はないかもしれないし、既にあるかもしれない。が、小池型の政治家が権力を取れば背後ができてしまう。原則がない政治家は、今の日本のように数十年にわたる情報工作が完成している社会では、全体主義の走狗に必ずなるのです。嘘を平気でつくマスコミと原則なき有力政治家の結託はそのまま全体主義への道です。
 主流派マスコミ権力をここで一気に追い詰め、本当に規制しないと、数年や10年かけての戦いでは、国民側が負けます。マスコミの影響を受けない世代の成長を侵略者は待ってくれません。

偶感

森友・加計の次、11月に出すテレビ報道についての本のゲラの直しを終えた。2冊、マスコミの病理を扱う本を出すことになる。が、どうしてもわかってもらえずもどかしいのが、危険の度合いの異常な大きさだ。昭和までの日本人・日本社会ならこんなことで崩れはしない。しかし今の日本人、今の日本社会は、様々な形で心理的・社会思想的、社会構造的な洗脳・解体手術を受け、右とか左とか以前に、社会の深い安定度、個々人の人間の器、大人度、骨格自体が、もう昭和までの日本人とは別民族だ。マスコミと野党による「主人公」「司令塔」の不明瞭な日本解体工作が今後も継続し――中枢を抜かれるとこの国はめためたと崩れる。今年、森友・加計による安倍政権攻撃、そして小池国政劇場の連動でそれが証明された。危ない所で乗り切ったが、森友加計の朝日新聞を本当に清算しきらないと、近い将来どこかの時点で日本はめためたにやられる。ずっと言ってきたが、危機の大きさの桁が違うことだけはどうしてもわかってもらえない。
 私はもうそれでも運動には戻らない。智慧は出す。が、自らは動かない。
 書斎で日本の記憶を書き留める仕事に入る。
 まずは昭和だ。数年、徹底的に昭和の記憶の呼び覚ましをしてゆく。
 毎日が辛い。居場所がないのに生きている。日本文学、日本の先人をとことん味わい続けてきた人間が現代の日本人の間に生きる場所を見出せない。70年間……。何と悲しい民族的自殺であったことでしょう。いやいや滅入っても仕方がない、喜びを感じられるまで学問に我を忘よう……。ところが、そこで国の眼前の亡びに傷心し、といふ悪循環が続く。

日録

保守論壇、ジャーナリズムの仕事は続けるが、生活の比重を本来の文藝、思想に戻し始めてゐる。何しろ、仕事のペースが遠大であり、今の月刊誌や書籍発行のペースとまるで違ふ世界である。物によつては一冊5年、10年かけて仕上げるといふことになる。事実『小林秀雄の後の21章』は初稿だけで4年、政治で中断した4年の後に、完成の為の推敲に2年をかけてゐる。
学問と美の喜びに沈潜し、執筆を急がず、世俗のことを忘れる人生を選ぶのは一面厳しい生き方を自ら強いることになる。世俗を忘れるとは世俗に忘れ去られることでもあるからだ。
 もつともさうしたことも決して焦らずにゆくつもりだ。一気に深山幽谷に隠れるのでなく、世俗の仕事もきちんと仕上ながら、自分の世界を深めてゆかうと思ふ。
 今日は例によつて源氏澪標、論語。川端の東京の人が愈々凄い。バルザックの日本版としたい程、濃厚な人間劇の大傑作だ。これ程の作が全く評価されずに通俗小説扱ひをされてきたとは。日本の近代文学史の通説たるや、「様々なる意匠」の交代史に過ぎず、この一事に限らず全く宛にならず。
昨日まで伊豆で聞いたトリスタンの第二幕、カラヤンとフルトヴェングラー。カラヤンは極めて立派な仕事で、同時期のベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーなどとは別格の高さにある。しかしフルトヴェングラー盤はどうしようもなく凄い。歌手が別格だからこれはもうその後の誰の盤でも敵はない。フラグスタートとズートハウス。他も全員……。フルトヴェングラーの指揮では何と言つてもテンポが凄い。単に遅いのではなく、その中で彼が何かかにかをしてゐるといふのでもなく、濃密な官能を空気が紡いでゆく感じ。これは指揮の技術を越えてしまつてゐる。フルトヴェングラーの指揮は根拠のある凄さもたくさん指摘できるが、この二幕などは根拠が指摘できにくいのに他の指揮者を圧する感銘を与へる。私の鈍りきつた音楽批評の腕でこれを描けるだらうか……。

お知らせと所感

拙著『徹底検証 森友・加計事件 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』が発売10日で4刷大増刷決定となりました。著者としては共感、応援くださる皆様に感謝の他ありません。
 同時に、何としてもこの件は朝日新聞主導の「報道犯罪」として社会的事件にしてゆかねばなりません。この機を逃し、保守界隈での小規模の朝日非難で終らせてしまうと、いずれ日本は必ず誰が司令塔と分らぬままに、マスコミの空気で全体主義化し、最後に笑う独裁者が必ず出現します。そう遠くない将来にそれが来るのが私にははっきり分かるのです。
現代の世界情勢の中では自由社会は寧ろ経済成長を成功させる一党独裁国家よりも内政不安定化を続けています。
 日本は安倍政権によって安定的に見えるだけで国会、司法と情報をコントロールするマスコミの破綻的状況は年々ひどくなっています。
 政権はマスコミの不正に直接介入できません。
 民間が怒涛のように声を上げる他はありません。
 構造的な情報操作による政権て転覆の企て――不正な権力への怒りが今こそ必要なことは戦後日本でかつてなかったと思います。
 私は一介の文士で非力、他の様々な方による実証的告発や英語圏への発信などを徹底的に積み上げてゆく流れが必要です。

お知らせと偶感

拙著『徹底検証 森友加計事件 朝日新聞戦後最大級の報道犯罪』が、amazonでようやく発送まで1~2ヶ月表示から在庫ありに変り、品薄感が解消されました。御迷惑をおかけしました。
それにしてもレビュー☆1が相変らず全く読んでいないことが明らかなものばかりで、文藝批評だろうとこうした時局ドキュメントだろうと、自分を磔にするような激しさで物を書いている人間としては意気阻喪する。最も多いのは本書の事実関係がデタラメだというもので、要するに、本書が真面目で実証的な本だと困るわけなのだろう。具体的にデタラメな箇所を指摘したレビューが一つもないことに失笑せざるを得ない。私が何者かWikipediaで調べろというのもあった。日本会議、安倍の提灯持ち。私が何者かを知るには『小林秀雄の後の二十一章』を読んで頂いたほうがいいと思うが。
 何度も書くが、このような日本を代表する主力メディアの構造的な情報操作による倒閣は、それ自体民主主義の根底的な否定だ。これは戦後史でも特に重大な「事件」なのだ。ちょっと怪しからん一エピソードではない。安倍氏が被害者なのでもない。日本の民主主義そのものが実質的に転覆寸前までいった。それなのに今、日本社会は、日本人は、今後、同じ事ができることにしてしまっているのだ。私が反日工作員ならば、これだけ証拠明白な前例を清算しない馬鹿な国をどうコントロールするか、ある意味で楽しくて仕方ないと言いたいところだ。
 小池劇場、民進党解党劇場も同じ。
 結果オーライが国を亡ぼす。原理原則に立つ強い抗議や検証を、それも実証や理性に基くものを普及する真の論壇、真の民間政治の声の集結が必要だ。安倍政権が永遠ではない。これ又いつも言うがその先には大変な事が待っている、今の内にデモクラシーの原則、言論の原則を再確立しないと本当に大変な事態が。

偶感

私の住んでゐる世界は、魂の探求の世界だ。森友・加計本のやうな本でさへ、私は全身全霊をぶつけるやうに書いてゐる。
が、これからは、愈々日本人の魂の物語、人類の魂の物語を並行して書き続ける、その日々に今入らうとしてゐる。強烈な政治の世界と静かな真善美の研究執筆――私は、今、そのギャップに自分の身を持て余しながらなんとかバランス点を見出さうとしてゐるといふ所だらうか。
国家への没頭のこの7年は世俗ではなく、それ自体私にとつては神事だつた。しかし、多くの人にとつて政治は神事ではあるまい。私は住んでゐる世界の違ひに疲れきり、混乱してゐる。これは無論愚痴ではない。我、事において後悔なし(宮本武蔵)暫くすれば私の心も澄み、定まりを見出すであらう。
今日はいつものやうに論語、源氏。川端康成の『東京の人』が凄くて溜息が出る。新聞連載の通俗小説といふわけにはゆかない痛い、怖いまでの人間の心理劇を、風俗の描写の中に活かして、息苦しい。結構が壮大で、川端の作家的な可能性の一方を示してゐる。文章は川端にのみ可能な亀裂と飛躍と洞察に溢れてゐる。この大長編をあまりプランもなしに書いてゐたのだらう。呆れた人だ。
トリスタンは、昨日、久しぶりに再開。ティーレマンで第三幕。ウィーンでのライヴで歌唱や録音は必ずしもよくないが、この人がオケから出す響きとリズムは怒涛のやうで、否応ない興奮を掻き立てる。カラヤンのリリックな美しさやクライバーの整理されたドラマツルギーと違ひ、波に呑まれてゆく強烈な陶酔だ。この人が今現役で毎夏トリスタンが生で聴けるといふのは凄いことだ。もつとも私はこの数年バイロイトに行つてゐないからティーレマンの生のトリスタンは経験してゐないが。今日は、多分、ベームとカラヤンで二幕。

なぜ私は『森友・加計事件 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』を書いたか

マスコミ批判、朝日新聞批判は無数にある。
しかし、実証性に基づき、虚報から政権潰しの大スキャンダルを仕組んでゆく構造や手順を丹念に炙り出した本はまだ存在しない。
 彼らの個々の虚報や捏造、謬見を幾ら指摘しても、朝日新聞には打撃にはならない。
 余りにも嘘に慣れており、嘘を許されてきたからだ。
 しかし、彼らが主導して作り出した今回の幻の森友・加計事件は、従軍慰安婦の嘘や、民主党への誘導とさえも次元が違う。
中身ゼロの事件から半年かけて支持率60%の政権潰しの目前まで持ち込めたのは、日本が特定の政治集団にジャックされるという、自由社会の存続そのものが危険にさらされる戦後かつてない異次元の危険性なのだ。
 安倍氏の政治信条が嫌いだから徹底的な安倍叩きをする――そういう話ではない。時の政権を虚報を構築してじわじわと転覆させるのは国民主権を破壊する構造的な政治犯罪である。
事柄の凄味、事柄の度外れた危険性を理解してほしい。
 私の祈りはただ一つ、本書が契機となりこれが「社会的事件」になってくれること。
 逆に、朝日新聞やマスコミ側の願いはただ一つ、本書が精々ちょっとしたベストセラー程度で一部の話題のまま終り、社会的事件にならぬままうやむやに終ること。
 私は今回本書で明らかにした経緯は、国際スキャンダルにすべきだと思っている。また後続の研究や証言がどんどん出て、実証的告発が重なって行くことが不可欠だと思う。
 私は一介の文士であり非力だ。
 知恵と力がほしい。