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【日録2】

 朝から朝日訴訟の原稿。その後私の顧問格の弁護士事務所で打合せ。顧問弁護士というより同志として公私ともに親身に世話になってきた先生方である。これから松本三之助著『明治思想史』、源氏物語。その後は同志と打合せ。マイネッケ再開は明日。
昨晩は帰宅後、フェルメール弦楽四重奏団のベートーヴェンの後期弦楽四重奏14番、15番。酒が入っていたから半分眠りかけで、スコアを何度も取り落とし、全然聴いたことにならないが。西洋美術史、ルネサンス思想、音楽を静かに楽しむ夜を増やしたい。仕事の為の読書だけだとたといそれが思想や文学でも心が痩せる。まして朝日を書くとね。これから喫緊の国家論などに入るが、その前に音楽批評だけは形にしたい。今月が山だ。来週はクレンペラーに集中したい。
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【日録】

 昨晩は、Voiceの永田編集長、編集部の皆さんとの酒席だった。席上、朝日訴状に“原告は上記両問題(森友・加計問題)について安倍晋三首相が関与したとは報じていない。”とあったよと話したら、全員「へっ?!!!!!」。絶句で数秒、会話のみならず時間が氷りついたようでした。
 全員を絶句させることができた私は、当意即妙の洒落が見事に決まった時のように、暫し得意な気持ちになりました。
 朝日新聞よ、敵である私にまで得意な気分を味わわせてくれて有難う。あなたのユーモアのセンスは日本一。

【日録2】

 朝日訴状を論じる仕事は今日は御仕舞ひ。大体原稿20枚分。もう3時だよ……。明日で大体見通しは立つだろうが…。
愚論を愚論だと指摘する程あほらしい仕事はない。世の中には何かを論破したり、攻撃したりして喜んでいる人がたくさんいるが、私は、論破できる程度のものを相手にすること自体が時間の無駄で不快だ。これから源氏物語絵合。クレンペラー伝。そこまでだな。マイネッケに戻るのは明後日だ。明日は午前中原稿、後は弁護士との協議が2件、同志との協議が1件でとても読書時間は取れまい。とにかく日本の思想、歴史、そして国家意思の設定の仕事だ 

【呆然自失】

 朝日訴状(二)の「イ」に次の一文がある。
 “原告は上記両問題(森友・加計問題)について安倍晋三首相が関与したとは報じていない。”
 わかった。そうか。
 では、明日朝刊一面トップで読者に分かり易く本当のことを教えてやれ。
「森友加計問題に安倍首相の関与なし」
「読者へのお知らせ:森友・加計事件の弊紙報道について広く誤解があるようですが、弊紙は一度も両問題に安倍首相が関与したとは報じていません。誤解を与える見出しを半年に渡り多数打ち続けたことについて、読者及び安倍首相に深くお詫び申し上げます。」
 そして下がった支持率を回収して歩け、下賤の者よ。

【日録】

 今朝は朝日訴訟についての原稿。今回は苦痛だ。私は同じことを繰り返すのが非常に嫌で、今までの論文、著書でも焼き直しは殆どない。ところが今回の朝日の訴状はその前の申入れから全く進歩がない。進歩がない人を相手に新しい事を書くのは骨が折れる。どちらにしても勿論私は朝日には個人的には全く関心がない。嘘つきだから嘘つきだと誰か言わねばならず、それを私が言っただけのことだ。嘘つきに嘘つきと指摘するのも本当は苦痛でしかないのだ。しかし何とか片づけて、午後にはマイネッケに戻り、一方、今日か明日には明治思想の仕事準備に入りたい。

【絶望する力】

 現代日本が絶望的なのは「絶望できる」人が少なすぎる事だ。①日本の歴史=文学を実際によく読んで日本の《真の》値打ちを知っていなければ、日本民族現状の悲惨さに《真に》絶望することはできない。②国際社会―中・米・露・半島―と日本の格差をよく理解していなければ、恐ろしすぎる現状に絶望するはできない。
 明治維新は希望に満ちた人達が成功させたのではない。現状に絶望、焦燥できるだけの知性・知識と、それを創造性に繫げられる豊富な生命力、能力のある人達が辛うじて作り出した新しい国家像だ。
私が数年前から抜本的なイデオロギー国民思想転換をしない限り民族消滅が確実だと主張している「人口激減」が論壇的な課題に全くならない。これは政策論ではない。思想の病気なんだ。そんなことがわからない馬鹿な社会に日本の明日など作れるはずがない。
もう一つの根本的な絶望は中国による日本の併呑であり、これももう現状では確実な近未来図だ。習が一時頓挫しようとしまいと世界史的潮流は変らない、それが歴史の恐ろしさなのだ。日本の真の自立のためには、抜本的な国家思想の転換を国民が決断するしかない。
安倍政治は―卓越した―漸進主義であり、今の日本では漸進主義による修復と覚悟の醸成がないと単なる混乱に陥るから、安倍氏は間違いなくこのタイミングにおけるベストリーダーである。しかし、この漸進主義は、明日のドラスティックな自己変革の為の助走であるべきで、漸進主義のまま現状を乗り切るの不可能だ。そちらを準備するのは知識人社会全体で取り組む仕事だ。それなのに知識人社会がなくなってんだから。知識社会が脆弱な中で激甚な変革期に突入すると一番変なアジテーターに国を乗っ取られる。いや、そのアジテーターの後に超大国になったお隣さんが乗り込んでくるんです。

【偶感】

 母との晩飯が終り、久しぶりに鬼平を一緒に見た。母は父が死んで以来初めてだという。今日見たのは笹やのお熊。北林谷栄のお熊が圧巻。「よお鉄つぁん、古いなじみのこの俺を、こんな庭先に通すなんて、ひどいじゃねえかい」は何十年前に一度見たまま台詞回しの細部まで忘れられない。
日本人が存在していた頃の記憶の中でしか生きる気力が出なくなって久しい。実家に戻ると死んだ父と死ぬ順番が逆でなかったことが不可解に思われる。私が熟知し、愛し、共に生きたいあの日本民族はもうない。エジプト、ギリシア、漢、ローマと同じ急激な民族の終焉に今まさに我々は直面しえいる。日本を何とかしたくて死に物狂いで頑張っているが、本当は毎日泣く気力も出ない圧倒的な虚脱感。それでも何人かの深い信・愛を感じる人達と出会い、連日連夜一緒に懸命の作業をしているからこうして生きているのだが……。今晩は諸橋の『荘子物語』を読み、チェリビダッケのブルックナー第六番を聞き眠くなったら寝る。

【日録】

 昨日から千葉の実家で母と過ごしている。今朝、朝日新聞から私宛の訴状を始めて丁寧に読んでみた。12月25日という暮れも押し詰まってからこんなものを送りつけられても、年末年始に読む気もしない。25日に3分ほど斜め読みをして鼻で嘲笑ったきり放っておいたが、正月も昨日で明けたので今朝改めて読んでみたのだ。いやあ、これはひどい(笑) 何人かの人に「この訴訟で歴史に残りますね」と言われる度に、私は文学史や思想史で残りたいので、こんなあほな訴訟で名を残したくないと答えていたが、これじゃあ確かに司法史、言論史に残っちゃうよ(笑)
 この訴状について口述を終え、先程母と犬の散歩。何度か腕に嚙みつかれたが相手が犬だから別に気にならない。
 午後は読書三昧。源氏の絵合。まさに絵合が始まり、絢爛たる場面に入つた。それからニューズウィークを数冊。あとは、折角年始に実家に来たのだから亡父の蔵書を読まう。諸橋轍次『荘子物語』。楽しみだ。

【日録】

  今朝月刊誌論文1本ほぼ完成。色々詰め込み過ぎたがどうしても必要なので仕方ない。音楽批評の推敲も進めた。明日から朝日訴訟について書かねばならない。反論もせずに二番煎じの訴状を送り付けてきた彼らについては、実際にはもう書く事がない。「大島から上がる朝日は美しいのに築地の朝日はなぜ醜いのか」とか「築地のマグロは美味なのに築地の朝日はなぜ不味いのか」とかそんな阿呆なことしか思い浮かばない。困った困った。写真は困らせの張本人Hanada、今朝の山手線広告。これを見ては朝日も困った困った(笑)。
 今日の読書は源氏の絵合。フォーリンアフェアーズ。クレンペラー伝。フォーリンアフェアーズ数本が終り次第マイネッケに戻る。明日になるだらう。音楽はクレンペラー晩年のベートーヴェン4,5番。26231979_1690574514368696_1628634204332228835_o.jpg

第十回紀尾井町会議

 昨日の紀尾井町会議。ご参加の皆様有難うございました。朝日訴訟の話はあまりしなかつたな(笑) 日中問題、日本の世界史的立場など知識人本来の仕事が現在の日本では全くおざなりになつており、このままでは確実に日本は近未来に大転落する。それでもう政治社会の現場に私が張り付いていては間に合わないから思想の仕事に全力で没頭しますという話。それからドストエフスキーの死の家の記録論。小林先生の創作和歌はお題「新年」。全くいい歌が作れず先生に見せられなかつたが恥を忍び一首披露「神さびし 杉の大樹を 仰ぎつつ 初祈り捧ぐ 木宮八幡」
 酒席の写真は、初参加の岩田さんと氏の専門である安部公房について談論中のもの。『砂の女』の深い日本的性格について。三島と安部対談の魅力について、など。何と昨晩は4次会まで。最後の店の記憶は朦朧(笑)
 紀尾井町会議は毎週第一土曜日の午後です。昨日はお陰様で満席に近かったので、ご予約は平和研ホームページよりお早めに。

【日録】

 今朝、月刊誌原稿ほぼ了。昨晩は指揮者クレンペラーのドキュメンタリー。
ルネサンス美術史、エラスムスやマキャヴェリをぱらぱら読み流しながら静かに過ごす。やつとそんな時間の過ごし方を取り戻し始めた。これから源氏、フォーリンアフェアーズ。午後は紀尾井町会議。明日から丸山論と音楽評論に手を付け、マイネッケも再開。
クレンペラー! これ程数奇な人生も珍しい。1933年ナチスの成立までベルリンの代表的な指揮者の一人だが録音は1920年代に10点ほど。その後亡命と大病、精神病、大怪我、失業状態の連続。1954年69歳で英フィルハーモニア管弦楽団との録音を開始、1959年74歳で40代で退任したカラヤンの後釜(!)として同楽団のシェフとなり世界的大指揮者としての名声を確立した。40代半ばから70歳過ぎまでを最低の不遇の中で生き後で、歴史的な業績と名声を取り戻す。ちよつと考へられない精神力だ。最晩年のベートーヴェンの荘厳な輝きは比較を絶する。

【日録】

 昨日東京に戻つた。私のシンクタンク平和研の新構想と新らしい本の各種準備に入つてゐる。平和研のサポーター会員限定コンテンツの発信も用意してゐるので会員の皆様は楽しみにしてゐて頂きたい。
新刊に関しては……マスコミや朝日関係は企業秘密(笑)
音楽評論集完成の為にクレンペラー、マーラー関連文献に集中し始めた。全く好みではないマーラー《復活》の1楽章や2,3楽章のそこここがこの所いつも頭を去来してゐる。好きになつてしまひさうだ(笑)このまま、私の論では完全に欠落してゐたマーラー指揮者の系譜論を補完してアバド、ラトルを取り上げれば、私の二人への全面否定的な感想とは別の評価の可能性が出てくるかもしれない。この数日でクレンペラーとの対話、語録、伝記。アルマ・マーラーの回想、シュライバーの簡潔なマーラー伝。レコードも連日数時間づつ聴き始める。
 マイネッケは年末年始は読めなかつたので復活し、どうしてもここからの読書の系譜を継続したい。また、短い丸山眞男論は口述を完成させ、これらはいづれも、総合雑誌に発表したいと思つてゐる。今書いてゐる来月号の原稿が明日ほぼ脱稿するので、明日から丸山論を整へてゆかう。
音楽批評集を脱稿し次第、明治思想についての新たな著作の為に精力を傾注したい。

【日録】

朝から月刊誌原稿。佐藤春夫『晶子曼荼羅』。今日午後東京に戻る。昨晩はクレンペラーの《復活》。マーラーでも4番や9番が畢生の名演であるやうな意味ではそんな優れた演奏と思へない。といふか、どうもあまり乗つてゐないやうだ。執筆構想の検討がほぼ終り、全力で集中してゆきたい。
 朝日の訴訟については随分多くの方の御心配や激励を頂いており、感謝に絶えない。
私の考へは簡明だ。①裁判は勝たねばならぬ。徹底して勝つ事が日本の言論の自由を守る上で必須の重大な裁判と認識してゐる。②朝日の提訴そのものが、朝日新聞の歴史的敗北である。大言論機関が言論の応酬から真先に逃げ、逃げた事実を隠蔽して司法を恫喝手段に使うという「事実の全貌」を、何よりも朝日新聞の購読者に知らせる方法を、今、考えている。
 ただし、私の中での勝負は拙著執筆時点で完全についており、最終的には朝日への回答で終つてゐる。私の興味は去年から再開した自分の学問と藝術の勝負にある。

【根源へ】

いつになく次号月刊誌の論文に苦慮してゐる。全く新しい思索に入る第一歩だからだ。そもそも安倍政権が誕生した際、私は政治は安倍氏に任せ、思想=国家百年、千年の仕事に入るつもりだつた。が、いつになつても安倍氏の戦ひのぎりぎり度、孤立度が変らず、「多勢に無勢」が全く解消されず、ずつと政治や社会にへばりつきといふ有様だつた。が、さすがにもう「日本が間に合はない」。私は原理的な仕事に完全に戻る。去年の11月頃からの読書を見て頂ければ遅々として私がそれに戻りつつあるのはわかつてもらへると思ふ。
 私のこれまでの論壇仕事と次元の違ふ仕事に入るため、書きあぐねてゐる。
 現在の日本に対して激烈なまでに厳しい。保守に対しても極めて、全く、徹頭徹尾厳しい。
 徹底的に考へ抜くのが私の真骨頂なのに、この何年も状況の中での発言ばかり繰り返してきたことが私を非常に苦しめてきた。
 今年からやつと原理的な思考と著述に深入りする。

【感想】

政治学や経済学は年を追ふ毎に歴史をシステマティックに考へる罠に嵌つてゆくが、ナポレオン一人がもしゐなかつたとしたら、システムが彼の代りを創り出し、同様の世界史を描くことはあり得なかつた。ヒトラーが何度かすれすれで死を免れて独裁者にのし上がらなければ、世界史が他のユダヤ民族抹殺者をドイツで誕生させたとは考へにくい。「クレオパトラの鼻」は永久に歴史の圧倒的な不分明性の適切な比喩であり続けるであらう。

【日録】

元旦は御節を食べた後は寝正月。御節は蒲鉾を除くと全て家内の手製。「黒豆にストレスを与えずに退色や型崩れをどう防ぐか」とか、栗金団の色目とか、御煮しめの丁寧な作り方を聞いてゐると、なるほどこれが「日本の思想」だと思ふのは無粋の極みか(笑)。言霊の幸ふ国がなぜ言挙げしない国であり続けたのか。言葉にしない所で最も微妙な勝負を全部付けてきたのが日本人だつた。言葉に長けた文明や国家は大抵極めて暴力的だ。言葉と暴力の問題はもつと考へ抜いて世界に発信した方がいい主題だらう。
今日は朝から月刊誌の執筆。読書は佐藤春夫『晶子曼荼羅』。このまま佐藤、谷崎と友人伝ひにいけば楽しいのだが、実はこの一冊を読み次第、脈絡もなく宮崎滔天に飛ぶんだな、これが。
音楽の聴き初めはマーラーの《復活》。マーラーは好きでないが、クレンペラー論の起筆をマーラーに置くから。アバドの最後の盤、ラトルBPO、バーンスタイン最後の盤を1楽章のみ聴いた。土台、ワグナーとマーラーといふ歴史的大指揮者兼作曲家の作品は、上手に演奏すればよく聞こえるようにできてゐて、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーのやうに指揮者を選ばない。それでどうクレンペラーを主人公に据ゑてマーラーから起論できるか。集中聴が始まる。
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