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紀尾井町会議

今週の土曜日6月2日の紀尾井町会議です。国際情勢、政局から、文藝文化の高度な議論までが縦横無尽。面白い。笑いが絶えない。そして一期一会です。私も思想や藝術の執筆研究と社会活動の両輪で、この所益々色々な方とお会いする時間が取れなくなっていますので、交流会としてもお待ちしています。

<紀尾井町会議サンプル版>

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【日録】

この所、国会もマスコミも見てゐないが「永遠のモリカケ」が続いているようだ。モリカケ真理教の人達だけでどこか別の国を作って死ぬまでやっていたらいいだろう。一部メディアと国会は日本社会にかつて例を見ないモラルの崩壊をきたしている。幾ら物を書いても議論にならない連中だからすぐ掃除はできないが、私は彼らを退治する社会活動家の道はもうお断りだから、書斎での仕事に専念している。
昨日は近刊の後書を完成、文藝対談集の推敲。マイスタージンガー2幕をカラヤン盤、ショルティ新盤。カラヤン論の補筆。今日から3幕に行き、次はパルジファルの予定。あと、リヒャルト・シュトラウスでやうやくカラヤン論完成の目途。東京にゐると外での予定も入り、また気持もガサツになるので音楽批評が遅滞しがち。江戸思想の読みにもっと入りたいし、会田弘継先生の新訳カークやフクヤマも熟読したい。が、ヴァグナーとシュトラウスは聴くだけで膨大な時間を取り当座どうしようもない。指揮者論は35年のライフワークなのに一冊も本を出していないので、これだけは避けて通れない。しかし来週の拓大の公開講座「明治維新を可能にした思想の力」の準備もある。先日の交詢社での講演と近い内容にはなるが、改めて加筆推敲しなければならない。

北朝鮮問題進展の第一の功労者

北朝鮮問題進展の第一の功労者?は金正恩氏。前代未聞の核プラスICBM開発とアメリカへの罵詈雑言でアメリカを動かした。普通だれもやらない。では、それへの対処の現時点での最大の功労者は誰か。明らかに安倍首相である。トランプ氏の方針決定にぶれずに方向を与えてきた。強硬路線が対話に引き出すという点でぶれなかった。一方習近平氏が金正恩氏にどれほど影響力がないかもわかった。さらに重要なのは、あんな極端な核ミサイル開発をするから見境ない男かもしれないと思われていた金正恩氏が、命の惜しい人物で、その為にはのこのこ何度でも出てくる人間だとわかったことだ。トランプの顔を潰して延命なく、安倍の要求を無視して産業国家への転換は不可能だ。安倍氏は騙されることを極端に嫌うリーダーである。金氏はそこを読み誤るべきではない。騙すことや恫喝することが目的でなく延命が目的なのだから、彼は学びながら、最終的には選択を誤らないだろうと思う。その際、最大の難題は国内と中国だろう。

【Hanada7月号】

本日発売されました。「日本は今「お笑い恐怖社会」」と題して寄稿しました。自由も公正さも制度や法律が守ってくれるのではありません。日々の私たち自身の正しい判断力や発信の積み重ねで壊れやすい自由や公正を守ってゆかねばならない。今の日本はその事を深いところから確認すべき社会の危機に至っています。櫻井さん、西岡さん、田北さんの座談や河合克行氏の一文も必読。次は拙文の一部、この後に大事な事を書いていますが、そちらはぜひ本誌を手に取ってお読みください。
「朝日新聞の森友加計報道は、再三書いてきたように安倍疑惑の極めて悪質な「捏造」だ。それが余りに悪質で、日本社会に与える害毒が余りにひどいから、私は必要に迫られて告発したまでである。朝日に関心があるからでも、興味があるからでも、逆に朝日が憎いからでも何でもない。必要だから相手にしているだけなのである。朝日が愚かであるとか、ポンコツであるとか、嘘つきであるとか、出来が悪いとか、凡庸だとか才能がないとか、箸にも棒にもかからないとか、気が狂っているとか、常軌を逸しているとか……。そんな事を延々と毎回書き続けるのが喜びであるような、私は変態ではない。
 何しろ、何をどう論じようと批判の核心はたった一言で終るのだ。「朝日新聞よ、嘘をついてはいけません」――これである。
確信犯の嘘つきに嘘を付くなと言う事は、およそ人間の行為のなかで、究極的に不毛で、最も生産性に乏しい振舞だろう。実際「嘘を付いてはいけません」と私に指摘された朝日新聞は、私と飛鳥新社相手に高額訴訟を起こして開き直り、森友加計以来の安倍叩きの狂奔を益々募らせて今日に至っている。
嘘を反省し、改めるどころか、ここまで開き直って暴走する相手に、それでもなお君は嘘つきだと言い続けるなどということは、最早知性の仕事ではなく、体力仕事と言える。
しかしこの徒労感の中で、私の疑問が膨らみ続けているのも事実だ。……以下は本誌にてどうぞ。

【日録】

心労が絶えないが、一歩づつ仕事を重ねてゐる。今日は12月刊行予定の音楽評論、仮題『巨匠論』の推敲、目次と企画書を整理。東京では忙しくなり全く音楽を聴けない。執筆がその都度停滞して実に困惑閉口する。何とか〈マイスタージンガー〉1幕をヨッフム指揮、ザックスがフィッシャーディスカウ。この格調高く精密な謹厳居士的ザックスは一寸なあ(笑)源先生の『徳川思想小史』は再読を進めてをり、明日の交詢社での講演会でも中身を使ふ。
6月に刊行予定の本のゲラを二点点検中で今日一冊分を終へた。8月下旬刊行予定の本の準備にも没頭しなければならない。江戸思想の勉強も本格化したいが、音楽評論の目途が立たない今はいかにも不充分な取り組みで些か神経がまゐる。山鹿素行に入れない。まづ素行、それから和辻哲郎の日本倫理思想史研究の通読をさ来週いつぱいまでに終へたい。

月刊日本250号記念

昨晩は月刊日本250号記念でご挨拶。尤も私は「御挨拶」は嫌いだし、南丘さんは人物ですから、前の亀井さんの「晋三はトランプのポチ」発言に対して「安倍はトランプのポチじゃない!」から始めて、「日本、日本と、今の日本は皆で日本を玩具にしている。一体、本当に日本を根源から思う奴はいないのか。野党とマスコミの国家破壊の暴力に何で暴力で立ち向かわないんだ」と若干吠えておきました。石破さんや玉木さんが帰った後だったのが残念。森元総理は「安倍さんは半分青い」と、これは名言ですが、私は「全面青い」でゆきます。会場で花田さん、八幡さんと。この3人が寄れば悪い相談に決まっています(笑)
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財務省「文書改竄」報道と朝日新聞 誤報・虚報全史

以前もシェアしましたが、Hanadaさんの編集になるこの朝日新聞誤報・虚報全史は、隅々まで味読すると相当重厚なものです。私は巻頭も書かせていただき――というか裏表紙から拙著への5000万円訴訟に関する幻の広告を掲載いただき恐縮なのですが、ぜひ本書により、朝日の虚報史の異常性、その全貌を知ってください。いつも言うように思想信条の違いは私は絶対的に尊重しますが、報道の名のもとにプロパガンダを行う、それも虚報を垂れ流すなどは、反社会的存在であり、暴力集団です。解体的根源的反省なしにこれ以上朝日の存続を許してはなりません。

近くやる講演草稿の一節。

近くやる講演草稿の一節。書きなぐりだから仮名遣ひ整はずご容赦を。
「中江藤樹は脱藩して帰農した人ですが、この人から江戸の学問の自由が始まりました。戦後の日本は自由や平和を与えられました。江戸時代の中江藤樹の学問の自由は与えられたのではなく、藩秩序から抜けて農民になつた男が自分でつかみ取って始まったのです。それが又面白い。今日インターネットで世界中が繋がっていったってろくな情報で繋がっているわけではない。マスコミからネットから、人間を高潔にし、智慧と心の豊かさを広げてゆくネットワークにはなってゐない。江戸時代にはネットどころか鉄道さへない。徒歩か馬しか移動手段がない。伝達手段がない。ところが、藤樹に限りませんが、日本中で立派な人物、学問を求めて学問が伝播するんです。これはなんだらうか。千里の道を遠しとせず人物に繋がろうとする情熱がどんなに豊かだったか。
他の大思想家を見ても身分は様々です。論語の解釈に世界史的に新しい一頁を開いた伊藤仁斎は京都の商人です。本居宣長は伊勢の薬屋さんです。かういふ人は身分を越えて殿さまから諮問を受けたり、藩での召し抱へを申し出られるのが常でした。
一方池田光政から徳川光圀、島津斉彬まで学問を講じ、中には思想家と言えるやうな殿様も随分ゐました。ヨーロッパだとフランス革命前夜、18世紀は啓蒙専制君主の時代だけれど、とても農民や商人に世界的思想家なんかゐません。これだけ思想の自由を許し、身分さを越えて思想家を抱えた国もない。
 それが今の日本民族のざまはどうですか。先人が怒りに怒っている。私は細胞がバラバラに砕ける位彼らの憤怒を感じてゐる。

【日録】

今日も猛烈な一日だ。カラヤン論ヴァグナー部分を引き続き。ティーレマン氏に関する企画書。私主宰の定期会合企画書。近日予定の講演草稿。昨日読み始めた李相哲氏『金正日秘録』読了を目指す。金日成から金正日の代代りの相克と、その反動としての三代目との理解は相当程度妥当と考える。私の信頼する情報源とも一致する面が多い。一致するから用心する必要もあるのだが。政治情報を見ていてつくづく思うのは、これは文学、特に比較文学的な深い長年の素養が必要なジャンルだといふことだ。
 来週が資料の読みと執筆、講演などで怒涛となる。江戸研究を手放さずに世俗の急務をこなさねばならない。

【日録】

伊豆から東京に戻った。今日は朝からカラヤン論。マイスタージンガー。夕方は新刊の打合せ。来週から疾風怒濤の執筆に入る。去年の『徹底検証森友加計事件 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』以来の「緊急出版」である。年末刊行に向け音楽批評と文藝対談集の完成を急ぐ一方で、本格的に江戸思想論に入る為の勉強を始めている。小林秀雄、昭和文学・思想についての本の執筆も控えている。この辺りは急ぎようがない仕事ばかりなので静かで一人の時間を極限まで欲しい。
夜はピアニスト魚谷絵奈さんのリサイタルをサントリーのブロンズホールで。魚谷さんには私の出版記念パーティーでピアノを弾いて頂いたが、今日はシューマンのクライスレリアーナの情念の籠つたうねりと重厚さがよかつた。リストのパガニーニの主題による練習曲の切れ味も抜群。とても美しい方だが今日は前半の純白のドレスと後半のスカイブルーのパンツドレスが対照をなして眼にも鮮やか。

【感想】

ソ連のスパイ活動の浩瀚な研究書『ヴェノナ』の監訳者あとがきで中西輝政氏がこんな事を書いておられる。「本書によれば、アメリカでは政府高官や公務員だけでなく、文化人や知識人、ジャーナリストといった階層の人々が、いかに外国の秘密工作に弱いかがわかる。そこには、イデオロギーというものに呪縛され易いという彼らの特殊性とともに、容易に人間関係の網の目に取り込まれてゆく、という特有の脆弱性もあますところなく書き出されている」
 若い自由イデオロギー社会であるアメリカの脆弱性はよくわかるが、一方で日本はどうか。乗っ取られ方が余りにも根本的過ぎて――情報機関の活動やヒューミント以前に国ごと攫われるような思想洗脳を多面的に遂行し続けられて――手の付けようがない。他人を信じやすく、自信を失い易い日本人の特性は情報工作が必要ないほど外からコントロールし易いのである。
 それぞれに頑張るしかないが、私は思想の再建という迂遠だが己を取り戻す上で絶対に必要な道を踏む。

【日録2】

今日は朝からカラヤン論の推敲。散歩に出るとオープンガーデンのバラが美しいので写真を撮った。下着ではないので念のため(笑) 今日はひたすらヴァグナーを聴く一日。マイスタージンガー2幕をカラヤン、後半のベックメッサ―の喜劇的なシーンをバレンボイム、トスカニーニ、クーベリックの指揮で。三幕をバレンボイムとカラヤン。三幕は2時間近いから二人を聴けば4時間。さすがに消耗するが、ヴァグナーの音楽の力に圧倒されながら同時に日本論や人類論の構想を少しずつ温める。明日東京に戻る。
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【日録】

伊豆の自宅籠りが続く。昨晩は写真のやうな晩飯。一日中勉強、散策した後のこうした晩酌が私の至福。昨日は源氏の少女。マイスタージンガーをバレンボイムの1幕、ティーレマンの2幕まで。
夜は妻が借りてきた映画『沈黙』を途中まで見る。最初アホ臭いと思つたが、段々リアリティーを帯びてき、特に江戸思想に入り初めてゐる私には考へるヒント満載であつた。基本的にはこれは信教の自由と政治といふ主題ではなく、戦国150年の不安定な日本社会を統治する徳川の政教確立とそれを脅かすパワー――それが何であれ――の闘争といふ問題だ。一向一揆や比叡山のみならず堺と全面戦争をした信長やキリスト教の背後に西洋の侵略意図を見た秀吉の問題意識の延長上にある。
 しかし一人一人の中では宗教の問題が当然発生してゐる。このテーマは江戸の学問の成立とも実は密接に関係する。キリスト教の受容といふ主題ではなく日本の精神的価値、宗教とは何かといふテーマで見た方が色々見える筈だ。
 今日はマイスタージンガーをカラヤン、ティーレマンで3幕まで通してしまふのを目標にする。最初バレンボイムを主たる比較対象に考へてゐたが、ライヴで、歌唱がバランス上聞き取りにくい。ティーレマンに切り替へた。あとはショルティとサヴァリッシュかなあ。
カラヤンのイタリアオペラを論じたのにワグナー、R・シュトラウスを素通りするわけにはさすがにゆかない。が、ワグナーは比較試聴が本当に大変。一曲扱ふだけで、一人のレコードで6時間かかるわけだから。3人比較すれば通しで聴くだけで18時間。それからあれこれ考へながら聞き直すと……。
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【日録】

 昨日から伊豆自宅、月刊誌原稿を苦吟の上脱稿した。源了圓「徳川思想小史」読了した。今日は、カラヤン論、文藝対話集の推敲。源氏が1週間も滞っているから少女を少し纏めて読み進める。日本の名著で山鹿素行へ。田原嗣郎氏の懇切な解説と配所残筆、武教小学。カラヤンとバレンボイム指揮のマイスタージンガー一幕、二幕まで。昨晩はカラヤンの一幕を聴いたが、この曲は幕毎に2時間近くかかるから聞くのも体力勝負。
 伊豆に来て新緑と静けさに包まれると、人間が生れ変ったように心が落ち着く。
 しかし東京の喧噪の中で、私の本当の戦いの意味を知る事も必要だ。醜悪で不愉快な精神的な風景――政治的左右とか反安倍とか以上の全面的な人間性の下落である――を身近に味わいながら、何を克服するのが私の天命かを知る必要があるのだろう。
 あれこれ思いつめる一方で、それを放下する修行、日本の為に最も貢献できる社会的仕事をあと一つだけしておこう、それ以外は結局、私一人の中で思想と霊性の根源的な営みを深める他なしという所に戻る日々だ。
伊豆と東京の往復は私の天命の為の不可欠な生活様式だったようである。

産経新聞正論欄

本日5月16日付産経新聞正論欄に「「総裁候補」に求められる器量」と題して寄稿しました。自民党の有力政治家は、安倍氏三選阻止に蠢く勢力の掌の上で右往左往せずに、この戦後最大の安全保障上の危機局面で、大局観と政治信条と政策の筋を通すべきです。状況の分析と筋論を盛り込みましたので、乞うご一読。
https://www.sankei.com/column/news/180516/clm1805160005-n1.html
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【遠くを見る眼】

 宮本武蔵は見の眼を目の前の相手を見る目、観の眼を、見てゐる自分を含め全体を見る視力とした。見の眼で見る日本には、私はいつも身の置き所がない完全な孤立感と無力感を覚える。それは身体を張つて戦ひ続けての実感だ。昭和までのあの日本エリートが左右、官民を越え、とにかく消えてしまつてゐるのである。あの謙虚、あの学問、あの含羞、あの静けさ……。丸山や司馬を声高に罵る人がゐるが、彼らのあの含羞は、その言説を越えて、あれが日本人である。それが分らない人たちのキイキイ声を聞いてゐると始めは殺意を覚え、後にはもうどうでもいいから自分の方で消えてしまひたいと思ふに至る。
が、とにかくそれを忘れ、観の眼で聖徳太子以来昭和までの日本を見続け、自分の本当の仕事を続けよう。
 それにしても……。一切消えてしまひたい思ひが間歇的に発作するのは否めない。
 今日から伊豆でカラヤンのワグナーに集中する。東京にゐる時に様々な用事をこなす必要から東京では勉強が遅れる。江戸思想も遅々たるもの。
源了圓氏の『徳川思想小史』がやつと読了といふお粗末さだ。私はこのやうな理解と整理を自らはしたくないが、これはこれで戦後書かれた思想史記述としては価値中立的で人間理解も深切穏当、梅棹の文明の生態史観発表から5年で早速それを応用して江戸思想と西洋思想との並行性を明示した先駆性もある。富永仲基、三浦梅園、山片蟠桃を18世紀の啓蒙思想としてとらへるなどはその典型で、無論18世紀は西洋における啓蒙の世紀なわけだが、日本でもそこから経済、社会合理主義的な思想が開花、成熟するといふわけだ。なるほど表街道の国学、水戸学、幕末の志士の思想の系譜だけでは明治の近代化は不可能だつたらう。日本の知識人が自前で近代的実学を構想できる人達だつたからこそ、明治の近代化は成功したので、水戸学や西郷、松陰のやうな知識人ばかりでは到底近代化は無理だ(笑)私も近代的実学に興味の持てない「そちら側」の人間だから、物言へば唇寒いのであらう。
……ちなみに以上、短いが立派なエセーなのであつて、昭和なら表通りの大雑誌に掲載されて当然であつた。私の「政治傾向」を買ふ出版社はゐても、私の「文章」の値段を知る出版社はないやうだ。人知らずして憾みず。それはだいぶ前から明らめてゐるが、私の日本はどこへとの心の涙ももう枯れてしまつた。

【御礼】

  本日は誕生日に際し、多数の方からメッセージとタイムラインに御祝意を頂戴いたしました。御芳情忝く存じます。いいねを押したり御礼を書いたりし始めたのですが、途中でセキュリティーコードが働くなどしてしまうので止めました。が、全てを目を通しました。本当に有難うございます。
 51歳になりました。国の為の仕事も文学の仕事も、要は志に関わる事であります。「文章は経国の大業」であり「述志」です。今年は政治に関する著作の刊行が前半続き、年末に向けて、音楽、文藝、来年には思想の仕事も増えてゆくと思います。一日を生涯と思い定め、日々大切に過ごしてゆく所存です。今後ともご指導ご鞭撻を宜しくお願い申し上げます。(写真は昨晩、紀尾井町会議懇親会で誕生プレゼント熊束を戴いた時のもの)
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【お笑い恐怖社会の出現】

 今の日本の政治、マスコミの現状はお笑い恐怖社会と呼ぶべきであろう。人類の歴史でも例を見ないのではないか。野党や朝日を始めとするマスコミのやることなすことお笑いレベルでない事はないが、お笑いレベルの国会質疑、お笑いレベルの捏造報道、お笑いレベルのロジック、お笑いレベルの事実誤認をこれだけ重ねても日本社会は問責しない。国会をお笑いで1年3ケ月空転させ、お笑い新聞とお笑いテレビがデタラメで毎日国民を洗脳して政権を氷漬けにしていても、日本社会はこれを容認している。
 内容はお笑いだが、事態は恐怖社会そのものだ。どんなデタラメでもマスコミがニュースにすると決めればニュースになり、ターゲットとされた人間や組織は大打撃を被り、誰もその被害を償う為に立ち上がる人はなく、社会もこの人身御供を平然と見捨てる。
 最大の人身御供は日本国民だ。
 自分たちで選び信任している政権をここまで妨害され、妨害されている事実さえ多数の国民は知らない。
 今の野党とマスコミの無道ぶりを許すと、真の恐怖弾圧政権が近未来に誕生する。「理由なき糾弾」をここまで許した以上、近未来偽装保守の媚中政権が誕生すれば、「安倍元首相を逮捕」とか、我々保守系言論人が大量拘束されるなどの事態は充分起き得る。寧ろここまで来ると起きる可能性の方が高いと私は思う。
百田氏のカエルの楽園は確実に現実化しつつある。法律の適用以前にモラル違反を社会が厳罰する強さが日本にはなさ過ぎる。これを何千回言ってきたか分からないが、危機感を共有する言論人は一握りである。これが日本の言論、日本の自由の脆弱さだ。
戦後すぐ我が最も愛する先輩批評家河上徹太郎は『配給された自由』を書き、当時のジャーナリズムで袋叩きにされた。しかし戦後の自由は確かに配給されたのだり、その後も糞まみれにもてあそばれ、一度も尊厳を持てず、守る努力なく、喚く身勝手へと堕落し続け、ついにリベラルと言う名の低能児が社会を占領する事態を招き、我々は全くそれを阻止し得てゐない。
戦後の自由と平和は自ら思考し、格闘し、一生懸命練り上げたことの一度もない脆弱な「虚偽」だ。自分で懸命に作り出そうとせずに人間的尊厳を持った自由や平和など手に入るはずがない。この基本を体で徹底的に覚え直さないと――つまり大量の弾圧や戦争を経ての立ち直りをしないと、日本人がまともに戻ることはできないのではないかとさえ思う。

【平和研の国体研究会】

昨晩は勉強会の立ち上げ準備。最新刊『世界基準のビジネス英会話』をはじめ数々の著書を持つ竹村和浩さん、仏教研究の第一人者割田剛雄さん、『新纂大日本続蔵経全90巻』の編集者。これは大変なものです。歴代御製の研究を歴史上初めて組織的にされている小林隆さん、 工学博士で人類学的な知見にも大変優れた洞察のある坂本治久さん、一級建築士で学校建設などを手がけながら日本の美に目覚め、建築にそれを生かすことを目指しておられる中嶋英里さん。皆さん全く違う分野でありながら極めてユニークで高度な知的業績を持っておられます。皆さんのプレゼンを重ねることと、山崎闇斎『大学垂加先生講義』の原書講読から始めます。昨日も、国父とみられる一方、仏教により神道と皇室を衰退させたと非難もされ続けてきた聖徳太子についてや、江戸思想の問題、小林の宣長理解の限界、釈迦の仏教の西洋的な意味での哲学性と大乗仏教の装飾的、美的な性質の大きな差異の意味、前者を発見したのが結局西洋近代だったことなど幅広く談論風発しました。一部を平和研の会員サイトで公開します。
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【激怒】

昨日までは馬鹿くさすぎて冗談を書いたが今日は本音を書く。
先程シェアした足立氏も末尾で自民党の国会対応がひどいと書いていたが、これは去年から私も再三言い続けている。国会の正常化は三分の二を持った与党が真剣に取り組め。支持率ゼロの政党に翻弄されて、国民の負託を何だと思っているのか。多数の負託は厳粛だ。権力はきちんと行使しなさい。
総裁が党務をできないと言っても、野党にこれだけ政治と外交を妨害されており、国家的喪失は天文学的数字に上っている。総理としての現在の厳しい激務と業績はよく理解しているが、安倍氏は与党総裁として国会正常化の強い指示をすべきだ。非慣習的事態には非慣習的に対応せねばならぬ。日本の政治と言論は事実上、非慣習的事態に突入している。
その事態を招来したマスコミと野党に何を言っても無駄だが、君たちの馬鹿さの為に国民国家をこれ以上被害者にするな。立憲他の妨害野党は寝ていてくれ。破壊活動より給料泥棒の方が遥かにましだ。マスコミは政治報道をやめて料理番組と旅行番組と馬鹿バラエティーだけやっておけ。日本は君たち頭の悪い狡猾なだけの屑どもの玩具じゃないんだよ。
 昨日もチャイナとのパイプを持つ最先端工学研究者(大変な愛国者)から、世界の外交・ビジネス環境は激変を続けている中で、日本の政治の停滞が生んでいる損失は数百兆円だとの慨嘆を聴いた。現在の政権与党が提出する法案に関しても、問題があっても野党とマスコミのこの馬鹿さでは一切チェックできない。日本の明日の為の議論も一切できず外交や貿易や技術分野にも甚大な被害を生み続けている。
 国民有志も言論人ももっと真剣に怒れ。
 あまりにも声が少なく怒りが少ない。
 少数の議員や言論人にだけ告発役を任せて、何を遊んでいるんだ。他人事ばかりで国への献身がなさ過ぎる。私は口舌の徒ではない。真の同志の異常な乏しさ、口先だけで何の支えもないまま国家の為の仕事が続く7年。激務、激務、激務、激務、激務、激務。学問の完成は遅れに遅れ……。

【自己戯画化】

私は政論家ではなく、文学者である。偶々あまりにも時代の堕落が酷く、知識人の社会的、政治的発言がお粗末なので、政治に関与する事になったに過ぎず、昭和であれば精々福田恆存や江藤さん位の――保守の大御所との印象があるが、実際には具体的な政治論を彼らは殆ど書いていない。特に福田先生は――政治的発言に留まり、大半を文化、文藝、思想、歴史の領分の著述で過ごしたであろう。
 文学者としての私は小林、福田伝来のパセティックな文体を長年の修練で身に付けている一方で、若い時から調子に乗ってくると文学的躁状態に入り、自己戯画的な文章も書いてきた。この所の滑稽風な文章はそうした私の一面である。どなたかが太宰治ですか?と書いておられたが、なるほどそういわれれば、一寸近いものがあるだろう。ヴィヨンの妻と強烈な志賀への憎悪の爆発である遺書如是我聞を同時に書かざるを得ない体当たり的な言葉の爆発と自己滑稽化、優しさの同居は私のものでもある。自己戯画化と自己破壊は紙一重だ。私は彼のような自己破壊衝動はないが、大義による自死願望は確かにある。要するに、自己という小さなつまらないものへの徹底的な嘲笑と軽視が根底にはある。
 この戯画化の願望は私の自己を崇高化したがる資質と暗渠で繋がり、不安定で矛盾する内的な分裂によって物を考え、書く原動力になっているのかもしれない。

【安倍外交への論評】

 北朝鮮情勢が劇的に進む中で、安倍外交蚊帳の外論や、アメリカ、中国、韓国はこう、さあ日本はどうするなどという議論を見ると、ここまで不道徳で国民を愚弄した報道が許されるかと思う。日本は国際諜報組織も自立した安全保障も持たない。持つ議論はマスコミに(多年アメリカに、そして今や近隣諸国の情報工作に)70年潰されてきた。情報と安全保障がまともに機能していない国が全体主義国家とのぎりぎりの外交で主導権を取れるはずがない。しかし、その条件下で、安倍外交は奇跡のように「方向」を主導してきている。安倍=トランプの組み合わせでなければ今の状況は決して存在しえなかったろう。だが、方向を示唆し、流れを作る事はできても、個別に強い外交姿勢は出せない。力や情報で捻じ込む事ができないからだ。
 この基本構図を無視した安倍外交の肯定も否定も意味はない。
 だが、そうした状況理解を踏まえてもなお、私は手足なしの外交でよくここまで大きな変化を主導できたと感嘆の他はない。安倍外交は後世、資料や回顧録などが詳細に開示されれば、タレイラン外交並の評価を得るのではないかと思う。 勿論、これからが勝負。まずはこの6月までの国際外交の緊密な日程の中での正念場に集中してもらいたい。こんな重大な最中でも、まだ安倍氏の足を引っ張りモリカケをやりたいなら、モリカケ担当大臣を作って調査から国会答弁まで全部その人にやらせたらどうだ。やりたい人がいるかどうか知らないけど(笑)

【密会】

ある大学の源氏物語の講座にこの春から通つてゐる。斯界の第一人者の女性の先生の授業で、宇治十帖。玉上琢也に個人レッスンを受けながら現代語訳をした谷崎や円地の先例に倣ふなどと大それた話ではない。愉しみで通つてゐるだけだ。宇治十帖だから、当然薫や匂宮の「密会」がテーマなわけだが、その関連で源氏が藤壺に「密会」する話になつたところで、先生が「つまらない事ですが…」とこんな話をされた。
「源氏を長年読んでゐて、源氏と藤壺の「密会」などと授業ではいつも話をしてきたのですが、昨年、どなたか政治家の方がホテルで「密会」といふ事が話題になつた時がありましたね。そのテレビを見ながら、ああ、密会といふのは源氏物語のやうな世界だけの事だと思つてゐたら、現実に今の世の中でも「密会」などといふ事があるんだと驚きました」
 既に退官されてゐる先生だが乙女心を失はずに源氏研究一途に過ごされた方なのだと、少し床しい可笑し味を感じました。源氏は密会といふより密通ですが。いや、その「どなたか政治家の方」も密通か。いや、ホテルでは政策の打合せをしてゐただけで同衾の事実は断じてないと宣うてゐたから密通でも密会でもなく、業務か。「業務」前の車中の顔が隠し撮りされ、それが余りにも艶やかで楽しげだつたのはよく覚えてゐる。うちの事務所で平よおと幾ら打合せをしても彼女はあんな顔はしてくれない。業務で女性をうつとりさせるにはまだ私の修行が足りないのであらう。源氏を読んで修行してゐるが、密会も密通もなかなか現実のものにはならない。人生は厳しい。
 ちなみに与謝野、谷崎、円地以下様々な現代語訳源氏があるが、角川文庫の玉上訳が日本語として最も優れてゐるのではないかな。小説の大家たちを差し置いて。

【日録】

昨晩は悟空出版に移られた畏友白石泰稔さんが同社社長佐藤幸一さんをお連れしてくださり、打合せと酒席。佐藤さんが週刊ポスト時代の大相撲八百長問題の取材の嚆矢だった事を伺い驚いた。徹底した取材、ファクトの尊重。この精神がリベラル系?新聞、テレビから雑誌までこんなに消滅した今の我が国で「言論の自由」は自殺を続けている。「言いたい放題が言論を殺す」という基本がどうしてメディア、出版社に入った高学歴の人たちにこうも分らないのだろうか。政治的立場とか安倍氏がどうでなく、一物書きとして悲しく無念である。
 昨日は新聞発表原稿の執筆、カラヤン論推敲。空海の三教指帰(日本の名著、福永先生訳)。今日はカラヤン論、文藝対談集の推敲。三教指帰。読了したら源了圓『徳川思想小史』、田尻祐一郎『江戸の思想史』。いずれも中公新書。

悩み、深まる

昨晩は、なぜ私の靴下が4足も片方だけになってしまったのかを主題に一生懸命呑み続けた。家内は「どこかにあるはずでしょう! 消えてしまった靴下を参考人招致してください!」と叫ぶ。私はおろおろしながら記憶にないと繰り返す。今朝になってみると、相変わらず片側の4足が朝日を浴びてのんびりと床で寛いでいる。人生の時は静かに過ぎてゆく。今晩は再びこの問題を考えながら一生懸命呑もうと思う。夜が待ち遠しい。
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【日録】

昨日、伊豆の自宅を出て千葉の実家で母と過ごしている。今日は新聞原稿を二本書いた。注文を受けたわけでもないので、これから掲載してくれる媒体を探す。押売り文士だ。精々凄んでみせるとしよう(笑)
小堀桂一郎氏『和辻哲郎と昭和の悲劇』読了。和辻論とは言へず、その点期待と違ふ内容だったが、碩学の力作である。大正デモクラシー世代の精神史的暗部が主題。大正デモクラシーではなく、大正コミュニズムと呼称すべきだといふのが先生の主張。昭和初期のプロレタリア文学には明確な呼称があり、大正教養派はコミュニストと括れない問題があるが、戦中の右翼共産主義、戦後の左翼共産主義双方をこの世代が作り出したとの説はその通りだ。特に統帥権干犯と天皇機関説問題の懇切なる読み解きはまことの学問の姿かくあれかしという立派さだ。五一五、二二六批判、終戦後の折口の神敗れたまふ批判など手厳しい。私はこうは書けない。
熊沢蕃山『集義和書』日本の名著抄訳読了。これだけ鋭い哲学エッセーはモンテーニュ辺りはもとよりパスカルでも書けてゐまい。キリスト教の中にゐるからだ。蕃山は朱子学の中にも陽明学の中にも師匠の藤樹の中にもいない。変通自在だ。この自由と謙虚の同居は全く素晴らしい。
「大才は刀のようなもので、よく砥いで柄鞘をこしらえ、昼夜離さぬが、一生用いない。威力で無事だからである。小才は刀を朝夕用いるようなもので、人を害ない、我が身も害なって、無事の暇もない。現代の才は小才である。朝夕多忙で国家は無事でない。ついには国が破れ天下が乱れる。」
まあ平成30年の日本の政治・言論界は小才でさえないが。
これから貝塚茂樹『孟子』。蕃山『集義外書』へと引き続き。

【感想】

昨日Facebookで「審議なき戦い」「あべない刑事」の画像を見つけてご紹介したが、シェアを拝見している中で「自分の意見と違う人への下品な揶揄」という趣旨の批判があった。いろいろな感じ方があっていいし、私自身異論への下品な攻撃は大嫌いである。が、この画像は異論者への下品な攻撃とは私には見えない。
もし安倍政権側をこのように如何にも笑えるカリカチュアライズしたものがあれば、私は充分楽しむだろう。安倍、麻生、二階、萩生田に石破、古賀、山拓と並べればなかなか迫力ある画像作れると思うよ(笑) あるいは安倍政権が籠池さんや前川さんにフーフー言わされてる画像とか。
 しかし「安倍を監獄へ」とか「独裁者には破滅を」とか、安倍氏をヒトラーに擬したりするなど、暴力的な攻撃と、朝日をはじめとするメディアや一部言論人の安倍疑惑の捏造、事実に基づかない異常な臆説や感情的な憎悪ばかりで、面白いネタが一つもないではないか。
 朝日批判を比べて欲しい。高山正之さんや百田さんや有本さんの批判などにしても、わさびが効いていて、どこかで読者を笑わせる余裕がある。
 攻撃的な暴言ではない。
 それにそもそも論を言えば、野党や朝日は立場が違うから揶揄されているのではないだろう。
 審議拒否や何でも安倍が悪い論は、立場の違い以前に、非良心的な馬鹿である。
 私は政策論争や政治的立場論争ならば敬意を持って参加する。
 実際、今年発表した幾つかの雑誌論文では安倍政権の働き方改革を強く批判している。9条3項加憲も一貫して私は批判する立場を堅持している。敬意と意味を感じるからこそ真面目な態度で批判するのである。
もし野党や朝日にまともな議論があるなら、私は当然ながら敬意を持って遇したい。敬意を持ちようがないほど低劣だから揶揄ばかりする羽目になる。

三選阻止の印象操作

主流メディアでは三選阻止の印象操作が続くが、これだけの安倍叩きでさえ支持率が40%台をキープしたり、回復にはいった数値さえ散見される。安倍政権が4年もの間50~60%の支持率を維持し続けていたのが日本の政権支持率としては尋常ではなかったので、現在の数値で、だいたい通常の政権支持率である。自民支持率は高く、野党支持率はじり貧だ。いざ選挙に出れば負けようがない。政権支持率40%で党支持率が同率程度、野党の支持率が一桁前半だらけでどうして三選が難しいのか、だれか逆に教えてほしい。
ちなみに最近不支持率をでかでかと出すメディアが増えたが、これまた印象操作だ。鳩山政権や菅政権の時、でかでかと「不支持率は70%に」などという見出しが躍った記憶は私にはない。
そもそも総裁選は自民党員と自民党所属議員による投票だ。疑惑の捏造による反安倍報道が続くほど党員のコア層――改憲で一千万署名を集めた日本会議の活動メンバーとも重なる――は逆に、ナニクソとなって安倍支持で固まる事が分らないのだろうか。いざ総裁選になったら反安倍に便乗した候補たちは不正な安倍叩きへの強烈な怒りに燃えた安倍支持コア層の地方票取り纏めと戦わねばならないのだ。
長期政権一番の敵は飽き。こんなに叩き続けたら誰も飽きず、政権の鮮度が保たれてしまう。
ポスト安倍有力候補である石破氏が朝日に便乗するなど自民党員の嫌う行動ばかり取るのも解せない。朝日の読者に幾ら受けても総裁選には勝てない。

【日録】

昨日カラヤンの〈運命〉を巡り重要な録音を聴き直して、基本的には議論のアウトラインはヴァグナーを残すのみとなった。1週間で初稿に手を入れて論旨を明らかにし、五月中旬ヴァグナーに集中して脱稿となる。大橋健二氏『良心と至誠の精神史』読了。近代日本の陽明学の系譜を辿った労作。続けて昨年先生から頂戴しながら読めてゐなかつた小堀桂一郎氏『和辻哲郎と昭和の悲劇』。熊沢蕃山『集義和書』。

ミッキーとアイスティーとうつとりする日本の私

我、常にミッキーと共にあり。猫よゆめ近づくなかれ。……伊豆の自宅で間もなく1週間。温泉も外食も小旅行もせず、買出しと散歩ついでに喫茶店で寛ぐ以外は、音楽と読書と原稿。こういう孤独な集中した生活が有難い。昨日はカラヤン論を書き進め、更にブラームス、ベームの第一、カラヤンとバーンスタインで該当箇所のみ。ブルックナー第七ウィーンフィル盤。ベートーヴェン第五を1977年盤、1982年盤。源氏朝顔。熊沢蕃山『集義和書』。今日は原稿は引き続ぎカラヤン論。読書は終日大橋健二著『身心と至誠の精神史』。ベートーヴェン第五をクライバー、カラヤン1982年、チェリビダッケ、ベーム。チェリの晩年の第五は掟破りの破天荒な演奏だが圧巻。92年来日の時の人見でのコンサートではオケが全く鳴らずに衝撃を受けたがCDはベスト。明日で素描的初稿はとりあへず終り。これでカラヤン論はヴァグナーのマイスタージンガー、パルジファル、シュトラウスのサロメ、バラの騎士、新ウィーン楽派全集を残すのみ。いやこれからの山が一番きつい(笑)ティーレマン氏へのコンタクトの準備にも入る。
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