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【9月29日みのもんたのよるバズ】

9月29日みのもんたのよるバズは生産的な対話の一歩を踏み出す事ができたと思う。ご視聴いただければ幸いだ。ゲイをカムアウトして活動されている元参議院議員の松浦大吾さんは新潮45の文章を拝見した時から話してみたいと思っていたが、早速機会を与えてくれた番組に、またみのさんを始めレギュラーの皆さんにも感謝申し上げたい。ゲストとして出演した足立さん、松浦さんとは個々の点では全て議論がかみ合う(賛否ではなく言葉がきちんと重ねられる)、一方で、足立さんと私とは知的、政治的組立ては近いが、人間観や政治観は異なり、松浦さんとは実は人間観ではかなり近いのではないかと感じた。
 異質性の間の対話――私が長く主張してきたのにスルーされ続けてきたことが、こういう主題で、私がバッシングされるという状態の中で、思いがけず実現し始めた。奇貨としよう。
 後程、幾つか所感を上げたい。

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【日録】

昨晩は、竹本忠雄先生と久しぶりに一献。現存の数少ない偉大な文学者、思想家と思つてゐる。初期のアンドレ・マルローとの対話から、皇后陛下の御歌の画期的なフランス語訳(近く素晴らしいテレビ番組になるらしい)、伊勢での日仏――ルーツとルーツとの対話など、マルローと日本の本源的な価値との間で大きな文業を体当たりで紡いでこられた。戦後日仏の文藝・思想の重要な懸橋だ。
 昨晩は新たに完成間近な自叙伝の事、また宮本武蔵について、吉川武蔵ではない巨大な実像を何としてもパリ、ロンドン、ニューヨークで示す展覧会を開きたい、また日本語でも実像を示す仕事を完成させたいとの事。
 今朝は和辻哲郎『日本倫理思想史』、レヴィ・ストロース『月の裏側』といふ日本文化論。不思議に共鳴する両巨匠の論旨。これからアメリカ思想についての口述。

【自称文藝評論家】

小川榮太郎の代表作です。ぜひご購読ください。といふのも、最近色々な人が私を「自称」文藝評論家と呼んでゐるのでね。せめて人を侮辱する時には、代表作位は読み、侮辱するに足るへぼな内容である事を示せるだけの中身とウィットある文章で批判すべきでせう。私は吉永小百合さんを批判した時代表作5作以上は丹念にメモを取りながら見直しました。大江健三郎さんの時もさうしてゐます。勿論両氏を侮辱などしてゐません。礼節を持ち、しかし批判すべきは厳しく批判しました。作品論でなく両氏の政治性批判であつたのですがそれでさへ私ならその位の手間は掛ける、それが発言者の作法ではありませんか。
また日本における文藝批評といふジャンルの歴史的意味を知つて発言すべきでせう。誰かその点で私と会話が成立する知識が最低限あつて私を侮辱してゐる人が一人でもゐるんですか、あほらしい。
私は政治社会的な仕事に忙殺されてきましたが、思想文藝音楽の仕事も、年末から来年には幾つか世に問ふ事になると思ひます。が、いづれにせよもう少し頭のいい侮辱方法をお考へあれ。
 まあ今や私の事なら便所の落書きと言はうが、自称〇〇と侮蔑しようが、無能、変態と罵らうが何でも許される。
 私はどんなに罵られても罵り返しませんし、被罵倒者の人権も主張しません。
 それより諸君、堂々と出て来たまへ。そして私の提出した本質的な議論に答へて頂きたい。性が本来的に持つ暴力性、究極的なマイノリティー性、そして結婚の叡智性――かうした人類最大の難題を安易にいぢるな、性をイデオロギーにするな、といふ事が主張の核心です。

【新年歌会始】

新年歌会始に今年は初めて拙詠歌を提出させていただいた。〆切ぎりぎりになつてしまつた。毛筆で本人が書く事が条件だが、畏くも両陛下には全ての応募歌を御覧になられるといふ。
 応募歌は公開できないので、御題「光」を詠んだ、提出しない方の拙詠を披露する。まことに恥づかしい代物だが……。

さざ波の 立つ夏の日の 朝まだき 海溢る光 きららまばゆし

【iRONNA】小川榮太郎手記「私を非難した新潮社とリベラル諸氏へ」

IRONNAに小川榮太郎手記「私を非難した新潮社とリベラル諸氏へ」と題して寄稿しました。
ご一読、拡散くだされば幸いです。
また特集ですので数名の寄稿者がおられます。それぞれの立場からの議論を併記した編集方針に敬意を表します。私自身、異論を暴言や圧力で潰そうとした事は一度もありません。異論者には対論の機会をたえず呼びかけ、メディアには両論併記を求めてきました。
【iRONNA】小川榮太郎手記「私を非難した新潮社とリベラル諸氏へ」

【日録】

今朝は会田弘継氏『アメリカの思想家たち』熟読を了。少しアメリカ遍歴をした後の再読でやうやく話が見えてきた。何度かご紹介したが、本書は平易だが社会政治状況と思想としての内実をバランスよく伝へ見事な思想列伝になつてゐる。ただ最大の問題と私に思はれるのは、カークとフクヤマの二人をそれぞれに最大限の敬意で描出してゐる事で、氏と彼らが個人的な知友だといふ事とは別に、思想家としてはフクヤマの根本的な近代への楽天性とカークは相容れまい。もう一つはロールズへの評価で、彼はその後の――今私も筆禍事件になつてゐる事も含めた――日米欧のポリコレ、文化多元主義や価値観の多様化を主張しながら圧倒的な言論抑圧を展開する流れを作る決定的な思想家だつたのではないか。ソ連共産主義はアメリカを内側から崩さなかつたが、今や新しい正義概念は、中国の自由社会向け情報工作と輻輳して大変な危険水域に達してゐる。最近、日本の戦後リベラルを位置づける論考を書いたが、引き続き試論を深めたい。
 また今日はやつとチェリビダッケ論通しの推敲を終へた。元の原稿は22年前、30歳の頃で文辞に未熟な点があり直したが、論旨の構築は大変な力技で驚いてゐる。20年前の自分に及ばないやうでは生きてゐる意味がない。頑張らねば。明後日までに脱稿し、ここまでを出版社に送る。これから講演草稿。明日には会田氏の本を元にした論考の執筆を開始する。

【日録】

今日は会田氏の『アメリカの思想家たち』の熟読と、新潮45に関する緊急寄稿で一日終ってしまった。大体筋を読めたので静かないい気持だ。平よおとさっき電話で話したら彼女曰く、先程公開した動画を編集している内に「理事長程同性愛の問題を真剣に考えている日本人はいるのかな、と思えてきた」との事。勿論、そこまでではないけれど、政策論ではなく、性の問題そのものが私の主題の一つなのだから少なくとも真剣に考え続けてきたのは間違いない。
私は谷崎、川端、三島を世界文学の一つの高峰ととらえている。彼らはそれぞれに異端的な性の苦痛と滑稽と荘厳を描いた。それを高く評価する私がどうして性的マイノリティーを保守的教条主義の立場で差別する人間であるはずがあるだろう。性は一人一人が究極的なマイノリティー性を引き受ける場所だ、だからこそ権利概念や政治を簡単に容喙させてはならないし、極左イデオロギーに利用させてはならない、私の主張の核心は以上に尽きる。
これからチェリビダッケを少し聞いて、小津の麦秋を見よう。急激な寒さが身を包む、静かな雨の伊豆の夜である。

『月刊Hanada』11月号

本日発売『月刊Hanada』11月号に谷口智彦氏との安倍首相論の対談「駆けて、駆けて、駆け抜ける」を発表しました。菅官房長官の巻頭インタビュー、谷口氏の多くの言葉に私は率直に感動します。谷口さんの最後の方の発言は、私には痛切な感慨なしには受け取れません。他も充実の論考です。ぜひご購読ください。
画像に含まれている可能性があるもの:14人、、福岡 幸雄さん、小川 榮太郎さんなど、、スマイル

【新潮45】

「新潮45」の休刊については、尋常ではない圧力を想定しない限り説明がつかない。早すぎ、一方的過ぎ、臆面なさ過ぎる。
そもそも雑誌掲載内容が普及する遑さえなく、世論の醸成が全くないまま、ツィッターの組織戦で私への悪罵を流布、発行からたった3日で「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」を社長が詫び、発行1週間で事実上廃刊。社長記者会見もなく、論文執筆者、読者にも何も説明なく、次号発売もない。特集の妥当性や私の文章の評価と別に、この過程そのものは誰がみても異常だ。真相の究明が必要だ。拙速だった、それが「彼ら」の最大のミスとなるだろう。
それにしても、リベラル著名人氏の私への悪口雑言の低劣さ、特に私の文章が本当に全く読めていない事に驚いている。よほど知的訓練の足りない人たちが物書きになっているのだと改めて呆れた。昭和29年、福田恆存の平和論の進め方についての疑問が保守系の文藝春秋でなく当時左派だった中央公論に出た為に、福田は論壇で袋叩きにあったが、あの時の左翼の袋叩きは論文によるものだし、礼節はあった。私は議論を守る事、対話を守る事を一貫して言動してきた。例えば私の吉永小百合氏批判、大江健三郎氏批判に罵倒や人格攻撃は一言もない。礼節と評価を前提とした上で厳しく批判すべきはするというスタイルだ。そういう人間に集団で暴言を投げつける人達がリベラリストだという……
 保守からも戦略ミスだとの批判が散見するが3つ言っておく。
1 今言うなよ。
2 6年間、言論の政治的機能において戦略的勝利を重ねてきた私に言うなよ。
3 保守のか細い腕による戦略如きで退治できる相手ではない。戦略という名の「チェンバレン主義」がこの怪獣の日本支配を近未来に許す事になる。私は再三述べてきたように安倍三選後は思想戦を戦う。その土台がなければ日本は終るからだ。一方、従来と違うレベルの政治戦も必要だ。安倍政治の現実主義が外堀を守ってくれている内に内側が全体主義化したら元も子もないのである。

週刊正論プレミアム

今日発行のメール媒体「週刊正論プレミアム」で先日観劇した歌舞伎の批評をしています。吉右衛門の『俊寛』を演劇史の一つの頂点と絶賛し、玉三郎の新作歌舞伎舞踏は野心的な試みながら失敗としました。新作を失敗としたのは退ける意味ではありません。成果のあがる挑戦をしていただきたいのです。そのためにこそ中身のある批判の応酬、対話が私の死守するスタンスです。政治論でも社会論でも芸術論でも党派的罵倒でなく、批判的対話が私のスタイルです。

【泣く子も黙る「軍部」の時代、泣く子も黙る「リベラルメディア」の時代】

多くの方に応援や率直なご意見を戴き有難い。私としては、拙論を丁寧に読み、細部にわたりよく理解してくださる読者が一人でも増える事が何よりも大切だ。これは政治的騒動ではなく、文化的事件だからだ。中身の理解なしに賛成者と反対者が石を投げあう、そんな勿体ないことをせずに、中身をよく理解する人を一人でも増やしたいと切に、切に願う。大げさでなく、性や結婚への今の傲慢な取り扱いは人類の存亡に関わり、今後の世代の大きな幸不幸に関わる。これ以上切実な主題はない。私は地口で笑わせる下世話なエセーを書いたのではない。
 私の文章は性差別を全く含んでいない。私の主張は、性において人は誰もが究極のマイノリティーで、本質的な意味でそこではマイナーとメジャーの「対立」はない。一方結婚は近代的権利の保障由来の制度でなく、古来の叡智だ。どちらを扱うにも理性の暴走を抑制し、慎重を極め、惧れよ、というに尽きる。
 この本質的な拙論のストーリーは悪意があるか不注意か無能な読者でない限り、誤読しようがない筈だ。
 ところが管見の限りではただの一人もこの基本のストーリーを踏まえ、それを紹介した上での批判がない。私を性差別者か痴漢の擁護者と決めつけて誹謗するものばかり。
 まあいいから諸君、読んで、論じて、対話しようではないか。私の側が対話を拒んだことは一度もない。対話せずに弾圧する、あなたがたが好きなフレーズを使えばこれこそ「いつか来た道」ではないの?
 軍部が大声をあげ、皆黙る社会が日本の一時期にあった…。
 今は?

【日録】

毎日ニュースで新潮とか新潮45という形で出版社や雑誌攻撃が続く。見るに堪えない異常な話だ。私の書いたものが問題なら、私を個人攻撃すればよかろう。
それとも特集そのものが問題なら、私以外の著者の事も名指し、引用して非難したらどうか。どちらかにしなさいよ。余りにも卑怯だと思うよ。
そもそも私にただ一社、ただ一人も取材して来ないのに、当方が繰り返し様々な形で誤読だと指摘している読みを前提に非難を続けている。なぜこんなに対話ができないのか? 
それはともあれ、今日はチェリビダッケ論をだいぶ進めた。会田氏『アメリカの思想家たち』も丹念に再読、行きつ戻りつ、原典も適宜チェックしながら読み進め、戦後アメリカ思想の構図がだいぶ見えてきた。
再三書いてきた通り、先般出版した『徹底検証安倍政権の功罪』を以て、思想、文藝の再建の仕事に本格的に歩みを戻したが何しろ久し振りで足腰が弱っている(笑)。まだ全くの助走段階ではあるがVoiceに発表した『自由の為の100年戦争』、新潮45『政治は主観的な生きづらさを救えない』、月末発売の雑誌での戦後リベラル論はいずれもその一歩だ。不充分とは言え、それぞれに思想的課題に向き合っている。丹念に読んでの批判的対話なら歓迎したい。
論壇を思想=文藝批評的コンテクストで再生しないと日本の明日はないと思っている。微力ながら全力を尽くす。

【余滴】

今推敲中の指揮者チェリビダッケ論から。会話、他者との距離感覚がヨーロッパで崩れた結果の余波が、今私が被っている弾圧的バッシングの根源です。感慨深いので断片だけだと難解と思いますがシェアしておきましょう。
「いはば彼らの骨の髄まで染み込んだ地方語的性格と自己の文体とは、楽曲のいはゆる妥当な解釈を妨げる事も多かつたのは当然である。だが、それは逆に言へば、彼が楽曲によつて批評される事を拒んでゐないといふ事であり、確実な距離感覚の中で、作曲家にとつて自分が「他者」である事を受け入れてゐたといふ事である。往年の演奏家の演奏が、時に出鱈目に近いまでに奇矯なものであらうとも、一様に開放感を持つのはその為であり、作曲家との「会話」といふものは、さういふ開かれた音の中ではじめて保証されたのである。
 かうして保たれてきたヨーロッパ音楽の「会話」の感覚がどのやうにして崩れたのかは、極めて大きな問題である。ヨーロッパの崩れが十九世紀から深い所で進行しつつあつたと考へるのは常識かもしれないが、二十世紀前半までのヨーロッパは強靭な肉体を前提にして崩れつつあつたので、ヨーロッパでないものだつた訳ではない。

【確認しておきたいことⅠ】

新潮45騒動について確認しておきたいことが幾つかある。
〇杉田水脈氏擁護として稚拙だという人があるが、私の一文を読めば、これが氏の擁護論ではなく、在野の私の思想の表明である事は明らかだ。しかも私の議論は「政治主義」批判なのである。そうした議論へのバッシングが炸裂している以上、最早主題は杉田氏から私に移っている。杉田氏の論文と私の論文は主張も論展開も全く異質である。かくして問題は政治の土俵から思想表現に移った。これから問われるのは、政治から自立した言論側の粘り腰であろう。
〇私の最も強い問題提起は次の一文だ。
「「弱者」を盾にして人を黙らせるという風潮に対して、政治家も言論人も、皆非常に臆病になっている。」
私への批判者は、この私の同調圧力批判という問題提起を全く無視して、同調圧力を掛けて私に暴言を吐いている。滑稽な風景と言える。
〇私の文章の1節をとらえて痴漢を擁護しているとの議論が独り歩きしているが完全な誤読である。
「SMAGとは何か。サドとマゾと尻フェチ(Ass fetish)と痴漢(groper)を指す。私の造語だ。ふざけるなという奴がいたら許さない。LGBTも私のような伝統保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念だからである。満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深かろう。」
 これは恣意的な概念設定によって権利を主張してゆく――つまり社会が充分に揉まないまま弱者の権利として認定してゆく――権利の暴走は狂気化するという「狂気の実例」であり、私が主張している内容ではない。
私は冒頭に、チェスタトンの「狂人とは、理性を失った人間のことではない。理性以外の全てを失った人間のことである。」を引用している。概念設定や権利の新設は慣習と民間の議論で十分に揉むべきで、そういうプロセスもないまま性や結婚のような人類で一番根源的な現象を安直にイデオロギー化、権利化、正義化すべきではないというのが私の全文の趣旨だ。ざっとでなく丁寧に、それも何度か繰り返し読んでほしい。何度もいう、性や結婚という人類で一番根源的な現象は慎重に扱え、さもなければ社会は狂気化するぞ、その実例として創作したのがSMAGなのは明白だろう。
ただし……。欧米での同性愛の位置づけは多年宗教的極悪→犯罪だった。権利の認定を劇的に扱わねば、同性しか愛せない人間が、それを理由に宗教的罪(伝統的キリスト教社会では決定的に重い)、犯罪者だという状況を覆せなかったわけである。劇的な権利への転換には一定の正当性がある。日本の置かれている状況は全く異なる。日本は日本の慣習と対話しながら、漸進的に問題を見極めてゆく思想の営みの段階であるというべきだ。。続く

【日録】

日暮時、異様に美しい鳥の囀りが幾重にも重なり窓の風に乗つて読書中の私の耳を楽しませる。この頃合ひには、例年、日が暮れた直後には蝉時雨、すつかり暗くなると秋の虫の音に私の書斎は包まれるのである。今日はチェリビダッケ論推敲、和辻哲郎『日本倫理思想史』、会田弘継氏『アメリカの思想家たち』。和辻は記紀の部分をやつと終へたばかりだが偉大な著作だ。和辻の比較的若い頃の仕事――有名な作品群だが――を読んできてさう感心した試しがなかつた。その為この最重要作品を手に取るのがひどく遅れたが、結局、私がこれからまづ第一にやらうとしてゐる「日本の精神史を辿り、保守思想の基盤を創造する仕事」――に一番近い事を一番立派になした人は和辻だつたといふことになりさうだ。会田氏のは読んでから一年も経たないが、アメリカ思想の新参者としては、カークを読了し、他色々物色した後で手に取ると、思考の手掛かりが実に無限。よき書き手に徹底的に付く事が私の仕事の基本。感謝あるのみ。夜も読書を続けたいが、チェリビダッケ論の仕上の為に幾つか彼のレコード――録音を拒絶した人の録音を聴くのは逆説的だが――を聴き直す。新世界、ブルックナー第八サントリーライヴ、展覧会などを予定。

【新潮スキャンダル】

私の親友に洗脳、プロパガンダの専門家がいる。彼が電話をかけてきて、今回の件は明らかに変だぜ、と言う。新潮45が出た途端に加速する私への誹謗中傷のツィートが余りにも組織的だ。司令塔なしに不可能なレベルだとこの専門家は指摘する。
さらに、テレビ、動画媒体からは徹底的に敬遠されてきた私が出版初日にネット番組とは言えテレビ朝日系の番組出演依頼を受けたのも奇妙だと彼は言う。
なるほど、出演依頼を受けた時、珍しいこともあるものだと思った記憶がある。
番組では小松靖アナは極めて公正な司会に徹してくれたしパックンは大変知的な人――私と意見が違っても――と感じた。しかしスタッフの仕事ぶりは奇妙だった。私は対論相手についての情報を事務所を通じて確認し続けたのにまだ決まらないの一点張りで、控室で初めて知らされた。それは事実決まるのが遅れたのだろうが、控室でも明治大学教授でゲイの方という以上の情報は貰っていない。専門も著書も主張や事績も何一つ。番組の構成員も、人数も、役割や主張の分担も知らされず、コンセプトも知らされていない。簡単なコンテさえない。鈴木教授の隣に並んでいた3人についてはその存在さえ事前に知らされていない。私は出演者の人数も、私への賛否も知らされずに「生」番組に臨んだのだ。
勿論、番組を見た方は、これが私という「メインゲスト」を尊重する構成員を集めたものだったか、最低限の公平性を担保したものだったか、私から申し上げずともお分かりだろう。
ちなみに私にとってこの番組出演は現在日本―と世界の思想的空気―に関して大変勉強になったし、小松氏の「土俵そのものを守る采配」に出逢えたのも嬉しかった。私はディベートで勝ってみせるなどというつまらない了見はないので、議論を深める為にはたとい自分がぼこぼこにされてもどこにでも出てゆく。今後もそれは変らない。
が、いずれにせよ、私はぼこぼこにされなかった(笑)
その結果、テレビ、新聞はおろか週刊誌からさえ一切取材、出演依頼ゼロといういつものパターンに戻った。どんな社会的騒動の渦中に私がいても絶対に私に光を当てないという不文律が彼らの間には出来上がっている。
 こうして私は遠吠えで「痴漢の擁護者」扱い、ステージは新潮社への執拗な吊し上げに移る。
 雑誌発表から3日での社長による陳謝は余りにも早かった、幾ら何でも早すぎるだろうと先の専門家は指摘する。なるほどばたばたしていて気付かなかったが確かにそうだ。社内的コンセンサスを作る暇さえなかったに違いない。私への連絡もなければ、とばっちりを受けた他の執筆者にも何の連絡もなかったろう。これは大変な不祥事だ。事実上私の文章を想定した社長謝罪とはいえ、私の名前も文章の引用もない以上、社長の侮辱的な発言は他の6人の執筆者全員にもかかることになるからだ。
 なぜこんな拙速な対応をしたのか。
 新潮社のアキレス腱を狙った悪質な組織的圧力がかけられていなかったかどうか、社長がとにかく急ぎ声明を出さざるを得ない異常な圧力がなかったかどうか、言論の自由の為に本格的な取材で事の裏面を暴く必要がある。
 本当は週刊文春がすべき仕事だがまあ無理でしょうね。要するに今のマスコミはへっぴり腰の弱い者いじめと安倍叩きしか能がない。
 言論機関がこうして自殺し続ける以上、新たな強力な媒体を立ち上げて、現状を大掃除をするしかないのだろう。個々人の正義では立ち向かえないリベラルファシズムの時代の到来――予言してきたが早い展開だ。

【新潮社役員諸氏および日本の言論界の全構成員諸君へ】

新潮社長のコメントを受け、新潮45編集部の処分を求めるような声が一部に出ているが言語道断の度が過ぎよう。そんな事のないよう予め強く警告しておく。根拠は以下の如し。
 今回の新潮45は関係論文7本を掲載している。藤岡氏は生産性を巡る専門的議論、八幡氏は政治家杉田水脈論、同性愛の方二人にも登場してもらっている。KAZUYA君は「寛容を求める不寛容な人々」、潮正人氏はNHK批判。LGBT差別なる非難に全く該当しようのない編集方針ではないか。
 唯一非難轟々になったのは私のエセーだ。話にならない水準の誤読ばかりで閉口するがそれは今は措く。今回の原稿は編集部の注文とは別内容を勝手に私が書いた。編集部は多様な言論を尊重して、拙エセーを注文の方向に直すよう要求せず、あえて掲載してくれたのである。今度初めて私を担当してくれた編集者某氏はやり取り一月、卓越した知性と教養、並外れた誠意の持ち主でまさに文藝の新潮にふさわしい優れた人材だ。多様性を担保しようとする編集部を処分するなど、絶対あってはならない。そんな事になれば、朝日新聞による私への5000万円訴訟同様、文字通り言論の自由の大前提が完全に崩れる大きな一歩となるだろう。
 「処分」が必要だとすればそれは私だ。
 なぜなら問題になっているのは私の論文だけだからだ。
 新潮社には私を処分する権限はない。
 日本社会よ、私を「処分」したければするがいい。
 私はいつでも一人で原稿を書いてきた。編集部に責めを負わせるつもりは一切ない。今度の論文も全人生観と誠の表現をぶつけたもので、中身を存分に検討すれば豊かな思想世界へと人々を導き得る、自信の一作だ。愚劣な誤読の山が幾ら築かれようと作の価値は揺るがない。
日本社会から「処分」されれればされたで、私は隠遁してやりたい仕事が沢山ある。日本保守思想の歴史的展望、確立と、万葉、古今、新古今、連歌、芭蕉といふ日本詩史。小林・川端らのスクールバイオグラフィー。ゲーテ論、プラトン論。全て3から5年以上はかかる仕事だ。父、祖父の寿命が77才、78才。そこまで生きられたとしてさえ26年しか時間がない。「処分」の際は田舎で没後に来る私の時代の為の仕事をしますので、なさりたければどうぞご随意に。
 くれぐれも私の原稿という私的な責任領域の問題を、組織への責任に転嫁する恐怖・忖度・イデオロギー専制社会の到来そのものの危険な選択だけはしないよう強く望む。

【毎日新聞が掲載しなかったコメント全文】

署名原稿に出版社が独断で陳謝コメントを出すなど言語道断。マイノリティーなるイデオロギー的立場に拝跪するなど文学でも何でもない。イデオロギーや同調圧力に個の言葉で立ち向かい人間の悪、業を忌憚なく検討する事も文学の機能だ。新潮社よ、「同調圧力に乾杯、全体主義よこんにちは」などという墓碑銘を自ら書くなかれ。

経緯:昨夕「毎日新聞学芸部です/新潮社発表を受けて、コメントをいただけませんか」という表題で弊事務所を通じてコメントを求められた為、字数、時間、掲載条件を確認、150字以内、22時迄、つぎはぎ掲載はしないとの事で引き受けた。最後になって紙面の都合で出せない場合があると言ってきた。昨晩は妻と金春流の観能、静謐な夜を楽しんでいた中でぎりぎりまで推敲した文章が以上である。

【毎日新聞スキャンダル】

 昨晩、新潮社長が新潮45拙論文を明らかに念頭に陳謝に近い文章を発表したことについて、毎日新聞からコメントを求められた。150字、全文掲載、22時締切を守ったにも関わらず今朝の朝刊に掲載されていない。彼らは紙面の都合と言い訳するだろうが、紙面はハッキリ言って暇そのもの(笑)私のコメントが毎日新聞にとって不都合だから掲載しなかったのに違いない。
 リベラルと称するメディアのやり口はいつもこれだ。しかも私の論文を「痴漢の触る権利を社会は保障すべきではないか」を使っての誤読以下の要約で紹介している。
 後程、毎日が没にした私のコメントを公表するから毎日新聞の部数分(笑)拡散していただければ幸いだ。
 ここではそれに先立ち、極めて重要な点を指摘しておく。私は個人としても物書きとしても本質的に非差別的な人間、宗教的万人愛の人間だと自ら信じる。私の身近な者は私がどんな些細な日常の所作でも万人愛的性質、公平性、非差別性に努めている事をよく知っているだろう。私の非差別性の根本は近代人権思想由来でなく、東洋古来の仁と礼だ。権利の主張は本質的にエゴから派生する。したがってそれは無限に増殖し、属性を持った権利の主張となり、敵を創り出し、攻撃しながら自己の権利(しばしば主張者の利権)を生む。「権利の主張」は社会に無数の分断と敵対を作る。抑制的であろうとしない限り、権利の主張は人類に無数の不幸を呼び続ける。
 実際、今やマイノリティーは括弧付きの「マイノリティー」となった途端、弱者でも被差別者でも最早なく、同調圧力を強要する一部の人達の為の、強者そのもののイデオロギー的「道具」となっているではないか。
 言論人にもし個を守り、真の弱者を守り、発言の自由を守る意思があるなら、このような同調圧力の道具と化した観念をどんなにぼこぼこにされても問題視する事――私はそういう立場から物を書いている。
 そして、私は今、実際にぼこぼこにされている。
 この事実を見れば、「マイノリティー」が如何に人を容易に暴力的にする「道具」に成り下がっているかがよくわかる。
 私はこのイデオロギーの暴力性とそれに加担する全体主義的な言論人リストを炙り出す仕事に微力ながら成功したと思っている。
 日本社会よ、真に警戒せよ。
 社会的自由は既に内実から死につつある。

小川榮太郎『新潮45』への疑問に答える①

私の論文(エセー)を巡っての炎上は――政治的効果を齎し難いので――すぐに鎮まると思っているが、情けない言論状況の國になったとつくづく思う。失笑するのは新潮社は素晴らしい出版社だったのにネトウヨ雑誌に成り下がった……という作家物書き連中だ。それは私の台詞である。昭和までの輝ける新潮社が、今のへたくそな物書き、作家たちによってどこまで穢されたこの三十年だったと思っているのか。自分の文章を鏡にかけて見た事もないのか、諸君は。
新潮社は、昭和文学・保守思想の華だった。私の好きな文人で新潮社から全集が出ている人を幾人か挙げても……萩原朔太郎、室生犀星、川端康成、井伏鱒二、中山義秀、火野葦平、山本周五郎、三島由紀夫、安倍公房、司馬遼太郎、円地文子、小林秀雄、河上徹太郎、吉田健一、遠山一行、福田訳シェイクスピア。ドストエフスキー、マン、モーム、カフカらも新潮社が全集(という名の選集だが…)日本古典集成、日本と世界の文学全集も私の多年の愛読書だ。
 新潮社に依拠する今の作家物書きの悲惨な日本語能力は何事か。
 小林とニーチェででもうがいして、物書きとしての地獄を見てから小川に口を利け。
 次は福田恆存(最初の著作集は新潮社から)の故事から、辛辣な悪口と、論争作法について教えて進ぜる。老舗出版社の看板の陰に隠れて駄文で処世する暇あるなら、少しは先輩たちの事績を勉強しておきなさいよ。

【おい、子供】

私の論文(エセー)を巡っての炎上は――政治的効果を齎し難いので――すぐに鎮まると思っているが、情けない言論状況の國になったとつくづく思う。失笑するのは新潮社は素晴らしい出版社だったのにネトウヨ雑誌に成り下がった……という作家物書き連中だ。それは私の台詞である。昭和までの輝ける新潮社が、今のへたくそな物書き、作家たちによってどこまで穢されたこの三十年だったと思っているのか。自分の文章を鏡にかけて見た事もないのか、諸君は。
新潮社は、昭和文学・保守思想の華だった。私の好きな文人で新潮社から全集が出ている人を幾人か挙げても……萩原朔太郎、室生犀星、川端康成、井伏鱒二、中山義秀、火野葦平、山本周五郎、三島由紀夫、安倍公房、司馬遼太郎、円地文子、小林秀雄、河上徹太郎、吉田健一、遠山一行、福田訳シェイクスピア。ドストエフスキー、マン、モーム、カフカらも新潮社が全集(という名の選集だが…)日本古典集成、日本と世界の文学全集も私の多年の愛読書だ。
 新潮社に依拠する今の作家物書きの悲惨な日本語能力は何事か。
 小林とニーチェででもうがいして、物書きとしての地獄を見てから小川に口を利け。
 次は福田恆存(最初の著作集は新潮社から)の故事から、辛辣な悪口と、論争作法について教えて進ぜる。老舗出版社の看板の陰に隠れて駄文で処世する暇あるなら、少しは先輩たちの事績を勉強しておきなさいよ。

【祝 安倍晋三総裁三選】

安倍氏が総裁選三選した。日本とアジア安定の為にこんなに有難い事はない。ダブルスコアで石破氏に圧勝したが、石破氏の最近の言動や政策の無軌道、異常を考えればトリプルスコアが順当と思っていた。
 安倍政治は徹底的に日本強化を進めてきたが、ここからのラストスパートは総理が先の総選挙で訴えた、➀安全保障上の国難と②人口激減の国難回避の見通しを安倍時代に付けることだ。憲法9条改正、安全保障政策の更なる前進、人口=地方政策に甘利氏クラスの真に力量ある人材を投入し総理主導で進める事など。と同時に、国民に国難の真の姿を語り掛ける事がどうしても必要だ。
 それにしても歴史上最激務の総理を既に6年近く、万感の思いを込め健康を祈らずにはいられない。

【恐怖社会】

以下の方のツィッター、報道で、私への暴言か、新潮45編集部への恫喝がなされています。高橋源一郎氏は私の文章を便所の落書きだと言いましたが、高橋氏の小説とは違い、私の一文は便所の落書きではありません。れっきとした「文章」です。私は主義主張や好みが違おうと、大江健三郎氏や村上春樹氏の文章を汚い言葉で難じた事はありません。なぜならそれは確かに「文章」として成立しているからです。私の「文章」も一字一句考えぬかれたものです。反論があれば「きちんとした文章」で反論してください。多くの人や報道機関が新潮45を恫喝している神経は丸山眞男が聴けば「君らのやっている事はナチス並の蛮行だ」と言ったでしょう。朝日新聞のような大メディアが従軍慰安婦を中心に誤報、虚報、捏造を重ねてきたことに対して廃刊を要求するのと、賛否はあれど社会の多くの人間が納得ゆく、それも多様な主張のアンソロジーを出した小さな一編集部を恫喝するのとは次元が違います。何しろ、性論、Homo sapiens論、家族論、社会論、倫理思想史全てを捨象して、短い論文が差別か非差別かで――多くの人は読みもせずに――条件反射する言論人や作家の知的脆弱は話になりません。 敬称略
▼竹下郁子 Business Insider Japan記者
▼平野啓一郎
▼星野智幸
▼津田大介
▼武田砂鉄
▼池内恵
▼荻上チキ
▼岩永直子(Buzz feed japan editor)
▼高橋源一郎
▼村山由佳
▼中野晃一
▼青山ゆみこ(フリーライター)
▼岩上安身
日刊IWJガイド「『安倍応援団』の中核の一人・ #小川榮太郎 氏が性犯罪を助長する扇動!! 
niftyニュース 2018年09月20日 10時40分
痴漢する男に「彼らの触る権利を社会は保証すべき」に大炎上 「国際問題レベル」の声も
サイゾーウーマン 2018/9/19 20:50
「新潮45」は近く“廃刊予定”? 小川榮太郎氏の「LGBTめぐる主張」で大炎上の舞台ウラ
BLOGOS 2018年09月19日 19:14
小川榮太郎氏、新潮45炎上にツイッターで言及 「私の文章をそう読める人達の頭は大丈夫でない」 
Wezzy 2018.09.19
「痴漢も生きづらい」小川榮太郎の破綻した論考を載せた「新潮45」
J-Castニュース 2018年 9月 20日 (木)
新潮内紛?「新潮45」批判を「新潮社出版部文芸」が連続RT 「良心に背く出版は、殺されてもせぬ事」
毎日新聞2018年9月19日 19時22分
新潮45 最新号特集に批判拡大 「社内造反」に応援次々
AERAdot 2018.9.19 21:28
新潮45「杉田論文特集」が”炎上商法”で売り上げ倍増 高橋源一郎氏らが続々と批判

【日録】(AbemaTV出演について)

昨晩の生出演、色々なご感想を頂戴し感謝に堪えません。私には色々学ぶところがあったので、次の手を考えている。ただし根本は基本的には文章には文章を、で行こうよという話だ。映像媒体は認知効果があるので請われれば出演するが、私は常々罵詈雑言や決めつけでなく、批判相手に対しては紙媒体でまとまった分量の対話的批判を試みてきた。ところが幾ら書いても無視、ないし著名人系でもツイッターで私への悪口雑言、朝日は訴訟、リテラが一番引用量多いからましかなあ(笑)
対話を拒絶するような文章を私は一度も寄稿したことはない。今回ここまで騒ぎになっているのだからぜひ私へのヘイトスピーチや罵倒でなく私を非難する者たちは、論文の応酬を期待しておきたい。
今日から愈々勉強だ。チェリビダッケ論の最終チェック、源氏少女、和辻哲郎『日本倫理思想史』。和辻は読み始めたが極めて立派な仕事で先に進むのが楽しみだ。

【笑話】

新潮45に発表した「政治は「生きづらさ」という主観を救えない」という論文がネット上で大炎上しているようだ。一節を取り出して「小川が痴漢の触る権利を保障すべきだと主張している、頭は大丈夫か」と騒いでいるらしい。私の文章をそう読める人達の頭が大丈夫でないことだけは確かだが、私の頭については今日はまだ酒が足りないので大丈夫かどうか判断付かない。多数決で決めたらいいんじゃない(笑) 何人寄っても馬鹿は馬鹿。何時に酔っても酔漢は酔漢。

【日録】

今日から保守論、江戸思想論をようやく再開だ。『徹底検証安倍政権の功罪』の執筆とその後の雑誌原稿の発注の多さ、講演と続いた為、8月初旬に再開を考えていたのが今日にずれ込んだ。社会的な仕事を頂くのは有難いが、どう長期的な研究と両立させるかがいつも難題なのである。
 今日はカラヤンの〈ばらの騎士〉論を仕上げ、リベラルについてと九月大歌舞伎の感想、カークのノート作り。源氏の少女に久しぶりに戻り、残りの時間は和辻の日本倫理思想史のひたすら読み進め。5月下旬以来やうやく研究生活に戻れる事に軽い興奮を覚える。

【日録Ⅱ】今日から勉強できるかと思ったら、二つの原稿の〆切が今日中との事だ。笑うしかない。夕方遅くまでかかりそうだ。勉強は明日からだ。まあ午前中、カラヤンの〈ばらの騎士〉部分を書き上げほぼ脱稿したのでよしとしよう。明日はチェリビダッケ論の推敲。これを数日でこなしてバレンボイムというか〈トリスタン〉についての纏まった論考に入る。トリスタン論となるとこれは大変。ヴァグナー自身の伝記的な部分は執筆を終えているが、ショーペンハウアー問題に触れないわけにはゆかず、パルジファルとトリスタンの本質的な差異、そしてニーチェ、マンやブロッホのヴァグナー論、フルトヴェングラー、バレンボイム、ティーレマンの系譜に対して、ベーム、カラヤン、クライバーでは駄目なんだよという話になる。二週間で終る話ではないなあ。その後はティーレマン論でブラームスの第一の二楽章から後を詳細にアナリーゼする部分が未完成。こちらも重労働だ。

【ポリポリ】結局朝から一日中原稿だ。疲れた。食うべきか食わざるべきか迷いながら、煎餅の袋を台所から書斎に持ち込む。覗き込んで言い聞かせるように呟く、一つ位いいだろう……。ポリポリ。そんなけち臭いことしないで二つまではいいのではないか……。ポリポリ。おまえ、頑張ったじゃないか、三つ目までは……。ポリポリ。そして悔恨が襲う。醜悪化の進む腹部の膨満に、人生の憂いは深い。こんな腹をしながら生きている価値が俺にあるのか……。そこで又……。ポリポリ。すっかり秋色になった日差しを眺めながら煎餅の午後が過ぎてゆく。

【新潮45】

本日発売号に、「政治は生きづらさという主観を救えない」と題して寄稿しました。先々月号の杉田水脈論文バッシングへの反論特集の一本です。私は、LGBTなる概念を巡る人権的議論の全てが根底的に狂っていることを論述しています。人権は近年の「イデオロギー」に過ぎませんが、(発情期なき)性は人類固有、通有の「欲望」であり、結婚は人類の生み出した「叡智」です。これらを混同する議論の全ては人類の未来を閉ざす危険極まるイデオロギー戦であり、打破し、消滅させねばならない。書き出しは以下、後は本文をお読みください。
「チェスタトン:狂人とは、理性を失った人間のことではない。理性以外の全てを失った人間のことである。
バーク:臆面もない言い方をすれば、それが古い常識だからこそ愛しているのです。

 テレビなどで性的嗜好をカミングアウトする云々という話を見る度に苦り切って呟く。「人間ならパンツは穿いておけよ」と。
 性的嗜好など見せるものでも聞かせるものでもない。
 アダムとイブが股間を意識して以来、Homo sapiensは、動物的な生殖行為ではなく、羞恥すべきタブーにして密かな快楽としての性を生きる「人間」になった。
 男と女が相対しての性交だろうが、男の後ろに男が重なっての性交だろうが、~」


【日録】

昨日は、大阪から戻り櫻井よしこさんの言論テレビ6周年を聴講。横田早紀江さん、卓也さん親子を始め、西岡力氏、山谷えり子氏、花田紀凱さんが登壇、拉致問題の全貌と今後の展望を詳細に改めて確認する機会となった。私は先約あり中途で失礼し、秀山祭大歌舞伎へ。吉右衛門の『俊寛』は圧巻の大芝居。シェイクスピアは100人の心を持つと言われるが、吉右衛門の俊寛は一人で100人の心を持つと評したい程、心のあらゆる表情を深浅自在に取り出す。これは台詞に全てを賭ける西洋の演劇では不可能な表現領域である。近松、先代吉右衛門、当代の練り上げてきた日本演劇最高の達成の一つであらう。吉右衛門の俊寛は40年間に3度目の観劇だが今回はもう一度見たいと切に思った。玉三郎の新作『幽玄』は能の羽衣・石橋・道成寺を連作に鼓童と組んだ舞踏との触れ込みだが完全な失敗作と断ぜざるを得ない。これは別に稿をなす。先週がネットテレビ出演、雑誌対談、出張の講演二件と続いた為今日は休みたいが、そうはゆかない(笑) 雑誌原稿、メール配信原稿、新聞原稿、対談原稿の〆切がほぼ今日に集中している。合間を見て妻が世話になっている金敷駸房先生門下の皆さんの書道展を拝見しに伺う。今日を乗り切れば暫くは本格的な論文執筆に専念できるはずだ。

【日録】

昨日は大阪國民会館武藤記念講座で『江戸思想が可能にした明治国家』と題して講演しました。歴史とは何かかから始まり、近代国家のレーゾンデートル、それが大日本帝国で可能になった理由としての江戸思想の自由度と深度と普及度――講演としてはかなり難解なものですが、熱心にご聴講くださいました。ご出席に皆様有難うございました。今日は朝からリベラリズム論を少々、これから東京に戻り櫻井よしこさんの言論テレビ6周年の集いに出席。今日は武士道を読了できるだろう。11月まで仕事の引き受けは最小限にして江戸思想、保守についての論文の開始、音楽批評の完成に集中する。