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なぜ気付かないのか

なぜ気付かないのか。歴史認識戦、例えば従軍慰安婦から次々にターゲットが移る。これは志那事変と全く同じ構図。日本の少ない保守人材が細い戦線に無限に動員され、消耗してゆく中で、森友加計のような倒閣運動そのものに日本の保守は一体となって戦わず、私と朝日の小さな戦いのように錯覚し、多くの保守派論客は私の側を首をすくめて通り過ぎ……。私が単身で戦っているように見える幾つかの戦いは、実は私の戦いではなく、日本の存亡の本丸だ。
なぜ気付かないのか、どんどん現に日本は店じまいさせられ続けているのに。私の書いたものを目から血が噴き出る程熟読すれば本当の明日の針路が得られる。雑な読み方をしても何一つ分らない。これは自尊心や自負で言うのではない。間に合わないんだよ。みんなが雑に考えていると言うことの為に全てが…。
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憲法改正の国民投票を求める

一昨日は、「憲法改正の国民投票を求める」全国大会に出席。美しい日本の憲法を作る国民の会の代表委員の末席に列しているからだが、今、日本がどれ程風前の灯火か、安倍政権と共に終る可能性が如何に高まっているか、保守も含め、危機感の感度が絶望的なまでに低い。憲法改正で民意をとれるかどうかと日本の寿命は密接に関係する。写真は有村治子議員と、論壇に出て以来ずっとおせわになっている出島さん。田久保忠衛共同代表の挨拶。田久保氏の国会議員への皮肉、特に威勢のいいことを直前に言い放った長島昭久議員への皮肉は痛烈だった。「先程長島先生がお約束して下さったので、明日から憲法審議は劇的に前進することになるでありましょうが……」
会場では日本会議の椛島総長、源氏で私を脅迫し続けてくれている(笑)工藤さん、神奈川の木上さん、熊本の高原朗子さんはじめ地方で懸命に改憲運動をされている皆さん、衛藤晟一氏、古屋圭司氏らと談話。日本会議なく、自民党だけだったら、憲法改正は安倍総理一人の勇み足で終っただろう。そこを公平に評価できる党派的ならぬ保守人士のいかに少ないことか。

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【お知らせ】

私の新潮45寄稿への論評が各月刊誌で発表されましたが、批判のほぼ全てに生産性がありませんでした。近代批評の伝統を汲み、時事的な問題を本質論に組み替えてゆく拙文を基本的に読めていない為、議論の土俵が形成されていません。『正論』での櫻井氏、門田氏、匿名座談での編集者は理解してくださっている前提で議論を進めておられますが、後はどうにもこうにも…。批判は歓迎しますが、土俵の上で相撲をとってくれないと話になりません。
 そこで、私のHanada12月号、1月号の2本の論文を同封の上、更なる議論を呼びかけました。
 以下はその送付先です。
 日本の文壇、論壇の為に、各位は無視されない方がよいと思います。勿論私の為ではありません。皆さんが反論をしてきたら物理的に対処できなくなるのは私ですし、研究、執筆、刊行予定の仕事が山ほどあるので、ほどほどで身を引いた方が私にも「得」なのです。しかし私は堕落腐敗を見て見ぬふりは極力したくない。今でも言うべきなのに敢えて周囲に留められて黙っている案件が他に複数あるのですから……。
 なお、送付した文章の公表は長くなるので別の投稿で後程発表します。 
《送付先一覧》
「文學界」武藤旬編集長宛:武田砂鉄氏へ
「月刊日本」坪内隆彦編集長宛:内田樹氏へ
「中央公論」安部順一編集長宛:武田徹氏へ
「潮」岩崎幸一郎編集長宛:古谷経衡氏、武田砂鉄氏、常見陽平氏へ
「世界」熊谷伸一郎編集長宛:斎藤貴男氏、二階堂友紀氏へ
「正論」菅原慎太郎編集長宛:門田隆将氏、川村二郎氏、櫻井よしこ氏、川松真一朗氏、覆面座談会の先生・教授・女史各氏へ
「新潮」矢野優編集長宛:星野智幸氏、中村文則氏、桐野夏生氏、千葉雅也氏、柴崎友香氏、村田沙耶香氏、岸政彦氏へ
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【日録】

溜まっている書類を整理したら息が上がってしまった。体調が悪いが、今まで何度も過労で潜り抜けてきた事だ。外に出る用事がどうしても減らせず、執筆研究は無限に仕事が溜まっているので休みがなくなり、気付けば数か月無休養となる。今日は原稿執筆は無理。外出する昼まで読書で過ごす。『豊饒の海』は漸く『天人五衰』に入った。かつて日本だった国で生きてゆく事は年を追うごとに辛い。物書き界隈に辛いと感じている人がほぼ一人もいないことが何よりも辛い。私は出遅れたので三島のような生き方は当面できない。仕事をし遂せる事に集中するのが当面5年の絶対的課題だ。

【知の荒廃と昼寝】

新潮45の拙文については、自分で言うのも妙な話だが、日本の近代批評や、現代の思想的問題提起の文脈で真面目に受け止めないと、全く意味がない。知的に全く対応できない人たちが論・文壇を占めていて橋にも棒にも掛かりようがない。大きな時代的文脈でこの問題を語っておく。
日本では小林から始まる近代批評をポストモダンが嘲笑して捨て去った時に、知の大崩壊が生じた。かつて学生時代、周囲がポストモダン熱を上げる中、柄谷氏や浅田氏が「あちら」の解説をする時と、自らを語る時の、成熟度の途方もない落差に呆れ、憫笑を催したものだ。まるで昭和初期のプロレタリアの連中みたいな背伸びのしざま…。あそこを断裂面に、近代批評が達成した文章、思惟の継承者が殆どいなくなって、言わぬ方ない低能が文・論壇を覆う「失われた知の30年」が平成となった。きちんと読んで、きちんと考え、きちんと書く代わりに、きちんと読まずに難解な用語や意匠やイデオロギーの図式に当てはめて、考えている気になっているインテリが群生、その果てには、難解な用語さえ使いこなせず、文学史的思想史的文脈さえしらない「知識人」だらけの現在……
 おやおやそんなことを書くつもりではなかったのに(笑)今日は昼寝の日なんだ。今、飯を食いに起き出し、うまい味噌汁を啜って、また床に入る。9月初頭から、風邪で臥せった時を除くと全く休んでいなかった。この所過労で何ともしんどい。今日は原稿もやらない。午後に取材を受けに事務所に出る以外は昼寝。

【日録】

伊豆で近刊の仕上げが続く。孤独な愉しい作業である。音楽批評の註と、時評集の短縮。しかし多忙が続き疲れが取れない。体調も気力も低下している。全てうまくいっているし、研究執筆の確保も進み、同志として信頼できる友人は益々増え、友情も愛も引きも切らずという、考えられない程有難い状態だが、そうした全てがうまくいっている為の多忙が身心をだいぶ疲弊させているようだ。 東京暮しは体に堪える。今週も予定が目白押しで、大きな会合や受賞式もある。来年になれば読書執筆の隠遁を月の半分に持ち込めるだろう。日本の敗北もここまで根深く絶対的亡国ラインを死守できぬことが明らかになって来ると、私が執筆に専念しないとどうしようもない。大袈裟と思わば嗤って過ごしてよい。その心の疲れと痛みはひどい。さすがに腹が減ったのでさんまの丸干しとトマトとキュウリを食おう。

【日録】

今日は松本さんのお誘いで西郷隆盛の生誕シンポジウム。新潮45以来の私の筆禍事件で援護射撃をしてくださっている文藝批評の大先輩山崎行太郎氏と親しく話せたのは有難かった。写真は上野公園での桜と銀杏。伊豆に帰宅し『暁の寺』の読み進め。夜は愛飲させていただいている名誉酔心(横山大観先生の記念酒)を味わいながら音楽三昧。この世で最も美しい音楽の一つ、ブルックナー第6交響曲のティーレマン指揮のDVD。バレンボイム=ベルリン国立の新譜からブラームスの第3交響曲。フルトヴェングラーの1953年ルツェルンでのシューマンの第4交響曲。これから閨秀ピアニストメジューエワのラフマニノフ、ドビュッシー、ラサール弦楽四重奏団のウェーベルン、エマーソン弦楽四重奏団のショスタコーヴィチの絶唱、第15番。クロノスカルテットから、ライリー、ペルト、ピアソラなど。
こんなレパートリーを纏めて聴くのは久しぶりだ。やっとここまで戻ってきた。最低限月の半分伊豆での生活を取り戻さない限り、私の仕事は正常化しない。
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今日も音楽評論集の註

今日も音楽評論集の註。今月でこれと時評集を仕上げると、来年1月から保守思想論や豊饒の海を皮切りに文藝評論の再開となる。
註付けはこんな感じ。相変わらず手元に本がないから記憶は今日伊豆に戻って本を確認して埋めてゆくけれど。
「オズボーンのカラヤン伝は、力作ではあるが、精密に偽造されたカラヤン讃の趣が強い。特に、前半では、フルトヴェングラーが才気溢れるカラヤンを妨害する落ち目の老悪役として各章ごとに登場し、辟易させられる。例へばある場面ではカラヤンへの嫉妬で「顔を真っ赤にして興奮したフルトヴェングラー」が登場する。(註、前掲オズボーン183頁)。が、その原典であるオットー・シュトラッサーの著書にはそんな記述はない。(註、前掲シュトラッサーにはかう書かれてゐる。「」。ついでに言へばオズボーンの訳者木村博江氏はシュトラッサーの著書名『und dafur wird man noch bezahlt』を『そして人はなおもそれを償う』と訳してゐるが初歩的な誤訳だ。これはあるフルトヴェングラー指揮のコンサートに感激したシュトラッサーの同僚エルンスト・ウラッハが思はず終演後に漏らした言葉である。こんな感激を味はひ、「その上報酬まで貰へるなんて!」といふ意味だ。Manとbezahltを訳し損ねてゐる。ドイツ語の監修者を持つべきだつたらう。)

音楽評論集の註の仕事

音楽評論集の註の仕事を始めた。楽しい。引用出典を丁寧に明記してゆく以外にも、以下のような形で註を重ねてゆく。ちなみに以下の本は東京の手元に今ない。記憶だけで書いている。記憶だけでアウトラインが全て書ける範囲は私の場合そう多くはない。何人かの音楽家と近代日本の数人の作家、評論家だけだね。まあその辺りが「専門」と言う事になるわけでしょう。例えば八幡和郎さんの圧倒的な博覧強記に較べたら子供だまし。
「註、前掲プリ―ベルク『巨匠フルトヴェングラー』の原題は『kraft probe』つまり、ナチス政権とフルトヴェングラーの「力比べ」である。全編が行き詰まる両者の政治抗争を描いてゐる。一方、カラヤン伝の著者として指名されながら、後に決裂して批判的伝記を著したローベルト・C・バッハマン著横田みどり訳『カラヤン 栄光の裏側に』音楽之友社1998 〇頁は、プリ―ベルクのフルトヴェングラー評価に異議を唱へるなど、ナチス政権とフルトヴェングラーの確執については現在まで評価は確定してゐない。」