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【天啓】

昨日は伊豆から沼津の高嶋博士を訪うた。博士は単に超弩級の天才であるのみならず、私には5年来の道の先達で、博士からは「先生とはこの世のみならずあの世でも付合いを続けたい」と言われているが、実際、この世のようなケチな場所よりもう少し上等な世界で共に道に遊びたい人だ。
しかし昨晩は改まって国の根本、人の道について最も核心に触れた道話、法語を聴きたく、実際に天啓のような言葉を数々戴いた。場所はクラブであり、酒と美女に囲まれ、始めて我々の道話は始まる。この条件の外に我々の道はない。その上、博士は今の日本の標準とかけ離れた人物だが、中途半端な人間観では誤解ばかり生むであろう壮絶な悪罵と詐、凡眼には詐欺師か気違いかと紛う大言壮語の波状攻撃を潜り抜けると、そこには天の言葉をそのまま下す類稀な真理の人、覚者がいる。
私は最も教えを深く受けている精神的指導者から3年近く、政治をできるだけ早く離れなさい、さもなければ一生離れられなくなると再三警告されてきた。他に霊眼の開けた数人から同じような助言をもらい、自分でも魂、精神、日本の天命――最近読んだ内村鑑三の「日本人の天職」を極めようとしてきたのだが、社会活動から隠遁するという事にどうしてもならない。道を究めることと社会的な仕事のどこに結節点があるのか迷ってきた。
が昨日の博士の法話で私の頭頂を覆うていた覆いが一気に取れた。尊皇と攘夷は激しく対立するものだ。小川は前者を行くべし。尊皇と国粋は違う。ここでも前者に徹すべし。小川よ、お前は陛下の御代代りに本当に意識を合わせているか。これは大喝と言うべき一語であった。
ところで、白隠ゆかりの博士、白隠再来と言われた山本玄峰老師に餓鬼時代に可愛がられ老師の唯一の後継者中島玄奘和尚と深い道縁あった博士から、究極の一冊として『老子』の名が出るとは思わなかった。宣長先生には叱られるが、これ文字通りの神書であり、それを認めない手はない。極端に言えば意味があまり分らなくとも一節を朗唱するだけで驚くほどの活力が沸く。
 昼には東京に戻った。銀座の洋食屋でビフテキを食い、泰明小学校の前を過ぎ――私のスーツはアルマーニでないのでどぎまぎしたが――有楽町の高架下にいつ呑みに来るかと空想しながら歩いていると、駅の向こう側に木下工務店の看板が目に入った。この看板を見た途端、どういうわけか急に昼酒が呑みたくなったが我慢して帰宅。今日には象山部分を読了し、小楠に入る。日本書紀の熟読にも入りたいが、まづはとにかく江戸思想の通覧を最優先。
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