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新しい仕事

7年ぶりに思想文学の新しい仕事に着手しているが、それがどういう意味なのかを、今日親友に出した以下の書簡の一節で示しておく。ご参考までに。
「日本思想は中央公論の日本の名著で現代語訳を急ぎ読み進めてゐますが、藤樹の翁問答に感心し、今蕃山の集義和書、こちらは大変な代物でびつくりしてゐます。一級の近代批評家、天才といふべき思考と人品の明晰な高さがあります。文庫本にさへなつてないのに驚きます。戦後、日本探求と言へば萬葉集、新古今や平家、鎌倉仏教、芭蕉に限定されてしまふ。最近の保守回帰ブームでは古事記ばかり。欠落の中で最大のものは古今的なるものと江戸思想ですね。日本は江戸と明治の二度輸入学問をしてゐる。江戸の漢学輸入から国学に到達する一方で、到達した国学に狭さと限界があつた。幕末の思想並列の全体の豊かさで明治を作り上げたが、西洋学を近代国学にする試みは近代の作家たち、藤村、秋声、谷崎、川端らから、柳田、折口、小林、保田、哲学では西田、田辺、和辻まであるけど、端緒に入つたところで敗戦。全部日本の芯、日本の信仰の問題への知的な建設の試みなんだよ。
その後は思想と政治の混乱と自己喪失のまま濁流にのまれて今日に至る。濁流、愈々激しく、正気を保つ人間愈々少なし。政治の混乱に対処できないのは教育=脳と魂の両方 を取られてしまつた事に根源がある。が、戻るべき日本は多様で、江戸から昭和までの思想的営為は戻るべき日本は何かの模索だつた。さういふ模索が完了してゐないのに教育をとられて70年、極端に大きな難題を日本は背負つてゐる。戻るべき場所の思想的確定がないのに教育を取り戻しても、戻るべき核を設定できない。明治の教育の功罪をよく見極める必要がその意味でもあります。君にはいふまでもないが教育勅語に単に戻るなんて話では駄目。 また連絡します。仕事が軌道に乗つたら会ひませう。
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