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【遠くを見る眼】

 宮本武蔵は見の眼を目の前の相手を見る目、観の眼を、見てゐる自分を含め全体を見る視力とした。見の眼で見る日本には、私はいつも身の置き所がない完全な孤立感と無力感を覚える。それは身体を張つて戦ひ続けての実感だ。昭和までのあの日本エリートが左右、官民を越え、とにかく消えてしまつてゐるのである。あの謙虚、あの学問、あの含羞、あの静けさ……。丸山や司馬を声高に罵る人がゐるが、彼らのあの含羞は、その言説を越えて、あれが日本人である。それが分らない人たちのキイキイ声を聞いてゐると始めは殺意を覚え、後にはもうどうでもいいから自分の方で消えてしまひたいと思ふに至る。
が、とにかくそれを忘れ、観の眼で聖徳太子以来昭和までの日本を見続け、自分の本当の仕事を続けよう。
 それにしても……。一切消えてしまひたい思ひが間歇的に発作するのは否めない。
 今日から伊豆でカラヤンのワグナーに集中する。東京にゐる時に様々な用事をこなす必要から東京では勉強が遅れる。江戸思想も遅々たるもの。
源了圓氏の『徳川思想小史』がやつと読了といふお粗末さだ。私はこのやうな理解と整理を自らはしたくないが、これはこれで戦後書かれた思想史記述としては価値中立的で人間理解も深切穏当、梅棹の文明の生態史観発表から5年で早速それを応用して江戸思想と西洋思想との並行性を明示した先駆性もある。富永仲基、三浦梅園、山片蟠桃を18世紀の啓蒙思想としてとらへるなどはその典型で、無論18世紀は西洋における啓蒙の世紀なわけだが、日本でもそこから経済、社会合理主義的な思想が開花、成熟するといふわけだ。なるほど表街道の国学、水戸学、幕末の志士の思想の系譜だけでは明治の近代化は不可能だつたらう。日本の知識人が自前で近代的実学を構想できる人達だつたからこそ、明治の近代化は成功したので、水戸学や西郷、松陰のやうな知識人ばかりでは到底近代化は無理だ(笑)私も近代的実学に興味の持てない「そちら側」の人間だから、物言へば唇寒いのであらう。
……ちなみに以上、短いが立派なエセーなのであつて、昭和なら表通りの大雑誌に掲載されて当然であつた。私の「政治傾向」を買ふ出版社はゐても、私の「文章」の値段を知る出版社はないやうだ。人知らずして憾みず。それはだいぶ前から明らめてゐるが、私の日本はどこへとの心の涙ももう枯れてしまつた。
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