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【毎日新聞スキャンダル】

 昨晩、新潮社長が新潮45拙論文を明らかに念頭に陳謝に近い文章を発表したことについて、毎日新聞からコメントを求められた。150字、全文掲載、22時締切を守ったにも関わらず今朝の朝刊に掲載されていない。彼らは紙面の都合と言い訳するだろうが、紙面はハッキリ言って暇そのもの(笑)私のコメントが毎日新聞にとって不都合だから掲載しなかったのに違いない。
 リベラルと称するメディアのやり口はいつもこれだ。しかも私の論文を「痴漢の触る権利を社会は保障すべきではないか」を使っての誤読以下の要約で紹介している。
 後程、毎日が没にした私のコメントを公表するから毎日新聞の部数分(笑)拡散していただければ幸いだ。
 ここではそれに先立ち、極めて重要な点を指摘しておく。私は個人としても物書きとしても本質的に非差別的な人間、宗教的万人愛の人間だと自ら信じる。私の身近な者は私がどんな些細な日常の所作でも万人愛的性質、公平性、非差別性に努めている事をよく知っているだろう。私の非差別性の根本は近代人権思想由来でなく、東洋古来の仁と礼だ。権利の主張は本質的にエゴから派生する。したがってそれは無限に増殖し、属性を持った権利の主張となり、敵を創り出し、攻撃しながら自己の権利(しばしば主張者の利権)を生む。「権利の主張」は社会に無数の分断と敵対を作る。抑制的であろうとしない限り、権利の主張は人類に無数の不幸を呼び続ける。
 実際、今やマイノリティーは括弧付きの「マイノリティー」となった途端、弱者でも被差別者でも最早なく、同調圧力を強要する一部の人達の為の、強者そのもののイデオロギー的「道具」となっているではないか。
 言論人にもし個を守り、真の弱者を守り、発言の自由を守る意思があるなら、このような同調圧力の道具と化した観念をどんなにぼこぼこにされても問題視する事――私はそういう立場から物を書いている。
 そして、私は今、実際にぼこぼこにされている。
 この事実を見れば、「マイノリティー」が如何に人を容易に暴力的にする「道具」に成り下がっているかがよくわかる。
 私はこのイデオロギーの暴力性とそれに加担する全体主義的な言論人リストを炙り出す仕事に微力ながら成功したと思っている。
 日本社会よ、真に警戒せよ。
 社会的自由は既に内実から死につつある。
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