FC2ブログ

【確認しておきたいことⅠ】

新潮45騒動について確認しておきたいことが幾つかある。
〇杉田水脈氏擁護として稚拙だという人があるが、私の一文を読めば、これが氏の擁護論ではなく、在野の私の思想の表明である事は明らかだ。しかも私の議論は「政治主義」批判なのである。そうした議論へのバッシングが炸裂している以上、最早主題は杉田氏から私に移っている。杉田氏の論文と私の論文は主張も論展開も全く異質である。かくして問題は政治の土俵から思想表現に移った。これから問われるのは、政治から自立した言論側の粘り腰であろう。
〇私の最も強い問題提起は次の一文だ。
「「弱者」を盾にして人を黙らせるという風潮に対して、政治家も言論人も、皆非常に臆病になっている。」
私への批判者は、この私の同調圧力批判という問題提起を全く無視して、同調圧力を掛けて私に暴言を吐いている。滑稽な風景と言える。
〇私の文章の1節をとらえて痴漢を擁護しているとの議論が独り歩きしているが完全な誤読である。
「SMAGとは何か。サドとマゾと尻フェチ(Ass fetish)と痴漢(groper)を指す。私の造語だ。ふざけるなという奴がいたら許さない。LGBTも私のような伝統保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念だからである。満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深かろう。」
 これは恣意的な概念設定によって権利を主張してゆく――つまり社会が充分に揉まないまま弱者の権利として認定してゆく――権利の暴走は狂気化するという「狂気の実例」であり、私が主張している内容ではない。
私は冒頭に、チェスタトンの「狂人とは、理性を失った人間のことではない。理性以外の全てを失った人間のことである。」を引用している。概念設定や権利の新設は慣習と民間の議論で十分に揉むべきで、そういうプロセスもないまま性や結婚のような人類で一番根源的な現象を安直にイデオロギー化、権利化、正義化すべきではないというのが私の全文の趣旨だ。ざっとでなく丁寧に、それも何度か繰り返し読んでほしい。何度もいう、性や結婚という人類で一番根源的な現象は慎重に扱え、さもなければ社会は狂気化するぞ、その実例として創作したのがSMAGなのは明白だろう。
ただし……。欧米での同性愛の位置づけは多年宗教的極悪→犯罪だった。権利の認定を劇的に扱わねば、同性しか愛せない人間が、それを理由に宗教的罪(伝統的キリスト教社会では決定的に重い)、犯罪者だという状況を覆せなかったわけである。劇的な権利への転換には一定の正当性がある。日本の置かれている状況は全く異なる。日本は日本の慣習と対話しながら、漸進的に問題を見極めてゆく思想の営みの段階であるというべきだ。。続く
スポンサーサイト



コメント

非公開コメント