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【余滴】

今推敲中の指揮者チェリビダッケ論から。会話、他者との距離感覚がヨーロッパで崩れた結果の余波が、今私が被っている弾圧的バッシングの根源です。感慨深いので断片だけだと難解と思いますがシェアしておきましょう。
「いはば彼らの骨の髄まで染み込んだ地方語的性格と自己の文体とは、楽曲のいはゆる妥当な解釈を妨げる事も多かつたのは当然である。だが、それは逆に言へば、彼が楽曲によつて批評される事を拒んでゐないといふ事であり、確実な距離感覚の中で、作曲家にとつて自分が「他者」である事を受け入れてゐたといふ事である。往年の演奏家の演奏が、時に出鱈目に近いまでに奇矯なものであらうとも、一様に開放感を持つのはその為であり、作曲家との「会話」といふものは、さういふ開かれた音の中ではじめて保証されたのである。
 かうして保たれてきたヨーロッパ音楽の「会話」の感覚がどのやうにして崩れたのかは、極めて大きな問題である。ヨーロッパの崩れが十九世紀から深い所で進行しつつあつたと考へるのは常識かもしれないが、二十世紀前半までのヨーロッパは強靭な肉体を前提にして崩れつつあつたので、ヨーロッパでないものだつた訳ではない。
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