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【憂国忌】

昨日、憂国忌で『春の雪』を論じた。富岡幸一郎さん、松本徹さん。司会は上島喜郎さんでした。
 発言の一部から。
『豊饒の海』における唯識は知的アクセサリーではありません。その理解については色々批判があり、仏教解説書の引き写しも指摘されてゐます。が、これは、西洋の人間観への根本的なアンチテーゼとして出されてゐる。人間の描き方が日本とヨーロッパでは違ふといふやうなレベルを超えて、根本的な時間のとらへかたの違ひ、つまり世界理解が根本的に違ふのだといふ事の表現です。
日本の近代文学は、自然主義、漱石、鴎外以来、西洋の小説の骨組みで、近代以前の日本人の精神や世界観を語つてきました。
最大のヨーロッパ通だつた鴎外が晩年江戸武士の世界へ、荷風は江戸の戯作の世界へと回帰するのがその典型例です。
三島は、彼らを尊敬してゐた一方で、かうした先輩たちの在り方に懐疑的でもありました。キリスト教といふ土台の上で開花した近代小説の構図や技法にそのまま取り込まれながら、前近代の日本に無自覚に依拠したり回帰することを後退だと感じたのだと私は思ひます。これは小林秀雄との対談でも三島さんはいつてゐます。
その時三島は近代西洋に対抗する世界観として、世界観といふ自覚的な思想文学形態を持たない日本ではなく、唯識、そしてその唯識を支へる印度に思想的根拠を求めたわけです。
一方、この作品は、同時に、日本近代の肖像画、それも日本近代への弔辞としての肖像画でもあります。(後略)
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