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感想

会田弘継氏『追跡・アメリカの思想家たち』を読了し、衝撃を受けてゐる。今年最も圧倒された読書だつたと言つていいかもしれない。アメリカの戦後保守の大きな支柱を最初に打ち立てたとされるラッセル・カークの訪問記から始まり、目配りの利いたアメリカの戦後思想家らの生き生きした評伝で、私のアメリカ思想への不明を恥ぢ続けるのみだつたが、最後に筆舌に尽くし難い感動が来る。
フランシス・フクヤマの章では、フクヤマの思想の紹介から、フクヤマの祖父が河田嗣郎という京大の農業経済学者で、若き日には徳富蘇峰と、そして生涯にわたつて河上肇と親しかったといふ話。この河田の蔵書『資本論』初版がフクヤマの座右の書で、それは河上も手に取つたに違ひない、それが今フクヤマの、非マルクス的だが、ヘーゲルの発展的な理論形成としては同根の思想を作り出す原点にあると得心させる描き方は、深い感慨抜きには読めなかつた。(私はフクヤマの近代肯定論には批判的だがそれは今後丁寧に論じてゆくつもりだ)
そしてエピローグ。ここは本当に参つた。漱石『こころ』の翻訳者マクレラン、江藤淳との交友から語り始められ、マクレランの師がカークとハイエクだつたこと、マクレランの博士論文が漱石で、ハイエクにその理由を説明する為に訳したのが『こころ』だつたこと、ハイエクはこの小説に法外な程の感動を示したといふ逸話が語られる。私が高校時代最初に買った英語のペーパーバックは何とこのマクレランの『こころ』だが、不勉強な私はこの英訳を積ん読しかしてゐない恥づかしさだ。
会田氏がこの日米の壮大な知的交流を描きながら、その最後に江藤の『南洲残影』、それも蓮田善明の歌碑を江藤が田原坂で見出したエピソードで閉ぢるに至り、涙の噴き出るのを禁じ得なかつた。
カークに始まり、蓮田善明で閉ぢられるアメリカ思想史。
会田氏の文章は平易だが、学問を真面目に重ねた人の文体のみが持つ豊かさが鳴り響いてゐる。
 それにしても、日本の戦後思想の左右ともの貧しさよ。
江藤のいふ「ごっこの世界」の中に安住してゐる人間に思想など必要ない。格闘すべき問題はアメリカに処理してもらつてゐればいい。その緊張感のなさへの絶望や焦燥のない戦後の全ての文章は紙屑に過ぎない。
が、幾ら焦燥しても物を作り上げる事にはならぬ。
私は、言葉といふ「物」と格闘し、「日本」を彫り出してみたい。
思想が世界を動かす。日本の潜在的な思想量は大変なものだ。これは世界史的な意味がある。近代欧米の行き詰まり、グローバル化によるニヒリズムと暴力、中国の真の思想なき台頭――だが、現代日本の思想家や文学者がそれをきちんとした言葉にしてゐない。昭和に大きな成果を上げたが戦後矮小化し続け、昭和の達成の先を描く仕事が殆どなされてゐない。
微力だが毎日積み上げてゆかう。このやうな小文もさうした積み上げの一部である。
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