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男と女がいる豊かさ、男と女がいる宿業 1

どこまでが恋愛や親愛の表現でどこからがハラスメントなのか、そういうことを当事者同士で調整してゆくのが、社会や人間の成熟、智慧というものだ。このテーマは皆自分の体験に引き合わせて考えるから、同じ言葉でも意味するところが天と地ほども違ってくるので論じるのは難しいが、少しだけ試みてみよう。
 まず社会の性道徳がこんな風に解体していて、何がセクハラだ、笑わせるなということだ。男も女も性的に裸のまま、無防備で非倫理的な空間に放り出されている。大人が若い男女を守るという日本で長く続いた社会的な智慧は解体し、自由恋愛という名の危険な放縦の先に、様々な売春と性的サービスが素人の自主参加の形で溢れている。
極端に露出度の高い服を着て満員電車に乗る女性などそれ自体が男にとっては性的暴力だが、そういうことを禁じたり窘める常識もない。
性を道具にして金を稼ぐ素人が無数におり、彼女たちは男という生き物に絶望し、軽蔑しきっている。軽蔑された男は女を軽蔑しかえそうとして、さらに道具のように扱う。
男の性的モラルを確立し直そうにも男の抑圧と萎縮が進み、強い男がモラリッシュに女を守るという長年当り前だった社会常識一つ再現できない。
男女関係について女は口を開けば居丈高で男を見下す口をききたがり、男は卑屈で逃げ腰な事ばかり言う。どちらも全く不幸な話ではないか。女が控えめで智慧深い美しさを持ち、男の良心を信じ、男は男として立てられ尊敬されるがゆえに女をぞんざいには決して扱わない。日本人が普通にできていたこうした性的関係が崩壊している。そこにセクハラという偽道徳が魔女狩りの道具となって持ち出される。
世界も日本も長年の文学伝統=文明的な人間観を失い、男と女のあり方の深い様々な知恵を失い、男女とも荒んでゆく。この50年の西洋発の思想の汚れは尋常ではない。
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